企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常


正しい会社の売られ方 二度の売却を経て 2

 
 纏めを急がねば。
「得たもの」「失ったもの」にとりあえず的を絞ります。

「得たもの」というより「失わずにすんだもの」になるのですが、最大のものは「会社」そのものです。
 短期間で二度の売買対象会社となりながら、ほぼほぼ会社の原形をとどめています。信用調査取材にたまに訪れる調査会社の人間にも「稀な例」といわれます。
 僕が「中の人」として、本編を書き残す時間がとれているのもその恩恵といえば恩恵です。

 そもそもの売却スキームの善し悪しは別に触れるとして同業他社への売却ということは、当然会社は消滅しますので、我々従業員の大半も長からず職場を去ることになったと思います。業界が縮小していくさなかでしたから、企業結合は規模でいえば1+1=2ではまったく意味をなさなかったわけですから。

 勤務先にとって厳しい時期に投資ファンドの下に入るというのは、いろいろありましたが「激変緩和」だったのかもしれません。
 また二度目のバイアウトにおいても異業種の傘下に収まるという形で企業として残りました。
勤務先の「企業再生計画」が「成功」と位置づけされても、それを否定する理由はありません。

 ただこのことをもって売却スキームと企業再生計画が「正しかった」のか、というと今もって「?」が付くのです。

 いったん区切ります。

正しい会社の売られ方 二度の売却を経て1

 さてそろそろ幕引きの章です。 

 主幹事証券の内部審査直前のタイミングで、投資ファンドがバイアウトを決定したことにより、僕は上場準備事務局⇒DD事務局⇒株式譲渡事務手続きとそのまま引き継ぎました。ええ、最小人数法務兼広報ですから何でもやるのです。感傷に浸っているわけにはいかないのです。
 今度の買主は異業種の上場企業でした。売却が内定した段階でもっとも神経を遣うのが情報漏洩。売主なり買主が意図的にリークするならともかく、対象会社から情報が漏れるわけにはいきません。株式譲渡の公表日時はいつか、クロージングはいつなのか。クロージングの段取りなど投資ファンドやFAと連絡をとりつつ、社長と役員数名と内密にその準備を進めました。
こちらも公表された直後から役員、従業員、主要販売先、取引先への説明などの段取りが要ります。役員や従業員説明のための会議のセッティング、社外向け文書の作成などなど。教えられなくとも買主の本決算発表日時にあわせて公表するぐらいの想定はつきましたし、まあ、2回めなので慣れていたというか。

 対象会社の担当者は、これも運命と思ってさばさばと仕事をこなす以外仕方がないですからね。

 企業結合審査の書類作成の手伝いをしてから3週間めに売主買主が株式譲渡を公表、その1ヶ月後勤務先は再び上場企業の100%子会社になりました。それから、まもなく2年です。

 前置きが長くなりました。
 5年経つか経たないかの期間に意味合いは違えど2回の売却を経て、勤務先は、そして僕は何を得て何を失ったのでしょうか? もし別の「売られ方」をしていたら、今と違う「現在」を生きているでしょうか。

 投資ファンド傘下の頃、社外からよく「出口戦略」という言葉をきかされましたし、質問もされました。

 僕がいえるのは、出口がIPOにせよバイアウトにせよ結局「入口」で決まるでしょ、左右されるでしょ、ということ。
勤務先の事例でいえば何で苦しめられたかというと、一度目の売却スキームにほかなりません。
なんといっても、いまなおそのときの借入金の弁済とのれんの償却が残っていますからね。

 以前「売れればよいのか」で書いたことと重複しますが、投資ファンド傘下となってから3年経過し、金融機関との融資契約がシンジケートローンになるまでは、毎年ブリッジローンでした。ブリッジローン契約で会社の資産のほとんどが担保設定されましたから、もう資金調達余力がありませんでした。企業再建といいつつも、本当の意味でのリストラに投資したくともできない状況が続いたわけです。属する業界、マーケット全体がリーマンショックの影響で低迷してきた時期と重なっていたことも災いしたこともありますが、資金面の懸念から3年もの年月を活きた時間にできなかったことが痛手だったと思っています。

(つづく)

                            

正しい会社の売られ方 幻のIPO 7

また1ヶ月も空かせてしまったこのシリーズ、さっさと先にいかなければ。

 前回は株主(投資ファンド)が直前期での資本政策(大株主づくり)は実行しないという結論を出したところまででした。
ところが、というのが今回の話です。

 申請直前期の年度が間もなく終わるという2月にくすぶり始めたのが、株主が複数の事業会社とDDの段取りを行っているという話です。
「このタイミングで株主づくりもないだろう」とは思いましたが、投資ファンドなりの考えがあるのだろうと納得するよりありません。ただ、財務部門は3月決算の諸作業にかからない日程を要望していましたし、何より我々上場準備事務局は、申請書類準備の最終段階にありました。まさか上場準備の妨げになるようなことはしまいとは思っていたのですが。。。

 結局、3月中旬から4月にかけて数回DDを実施するので協力するように、と伝えられたのが3月初旬。
ちょうど上場準備事務局が上場申請書類である「Ⅰの部」「Ⅱの部」そのほか主幹事証券審査に必要書類をすべて揃え、また主幹事証券がバリエーションの検討を始めたところでした。公開業務部門担当者が「具体的に審査日程を決めましょう」と気合いを入れたところで、「すみません、実は」とDD実施の説明をするはめになりました。
「いまから資本政策ですかね?」「さあ、なんとも」「株主が決めたことですから仕方がないですね」
段ボール箱に詰めた申請書類を横目にみながら、こんな会話で時間を埋めるしかありませんでした。
 某雑誌の記事にちらりと書きましたが、本当に「対象会社の事情」など一切考慮されないものなのですよ。

 DDは複数の事業会社が順番に実施するという予定が組まれていました。資本政策なのか、それとも他の目的のためなのか明かされる事なく、上場準備事務局のメンバーがそのままDD事務局を務めるという体制で始まりました。
 1社目のDD。「資料中心で回答いただければよいので」と法律事務所や会計事務所から次々と送られてくる質問票。上場準備書類やそのために整備した社内書類でまず大半の質問の回答になるというなんとも皮肉な状況となりました。
DDが佳境に入り、飛び書く追加質問の内容やインタビューなどを通じ、「持分取得のためではない。支配権をとるつもりだ」と感じました。僕もだてにいろいろな目に遭っていません。元親会社が投資ファンドに売却するときのDDよりも、「微に入り細に入り」だったのです。
 投資ファンドが選択した出口は、事業会社へのバイアウトだったわけです。

 1社目のDDが終了し、さて2社目は?といいますと2社目はありませんでした。1社目が好反応だったからです。
何がどこまで進んでいたのかはっきりと現場には降りてきませんでしたが、4月のある日投資ファンドのパートナー社員から僕あてにメールが届きました。メールに添付した書類にマーカーをつけてあるので、その部分を作成し埋めてくれとの依頼でした。
メールに添付されたその書類は、公取委に提出する企業結合審査のためのものでした。
これでIPOはなくなった、と思わず目を閉じました。

 メールが届いた日はたしか某法律雑誌の読者交流会の日でした。その夜のビールは苦かったな。(つづく)

                             
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