企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常


ひとつの時代 ビジネス法務2019年8月号

 最近攻めている感のあるビジ法。拾い読み、というのもあれなので今回は巻頭の特別企画「法務の到達点と展望を大観する平成から令和へのメッセージ」の読後感。

 元号についての議論はあるものの、ある一定期間の歳月を括って論じるには便利なものです。ちょうどひと世代にあたる30年というのも区切りがいいですよね。

 自分が法務に異動したのは平成18年の年末なので、それ以前の企業をめぐる事件について法務の視点でどうこういうことはできないけれども「すべては地続きなのだ」と改めて思います。
 社内研修で「CSR(というもの色あせた感がありますが)」「コンプライアンス」を説明する際は平成前半の90年代から00年代に何が起こったのかということを抜きには説明できません。平成は企業が事故不祥事を隠しきれなくなった時代ですね。
 会社法絡みでいうと、それまではなんとなくサラリーマン双六の上がりのような「取締役」「監査役」就任が、各条文を読むともはや役員が「上がり」の役職ではないということがわかるようになったのが大きいですね。本当はその前からだって経営責任は負っていたはずなのだけど、「終身雇用・年功序列のご褒美に与っただけのような役員」っていましたからね。役員研修後に「知っていたら就任しなかった」とぼやかれたこともあります。業歴の長い企業ですら取締役、執行役が現役バリバリの世代に代わっていく事例をみますが、法がそこになんらかの役割を果たしているように思います。
 
 寄稿記事にはありませんでしたが製造業勤務だと「製造物責任法」と「消費生活用製品安全法」のインパクトは大きかったと思います。行政側が「消費者保護」に軸足を移したわけですが、決して消費者を軽視していたわけではないものの製品の設計思想からカタログ、パンフレットの表示やセールストークに至るまで見直すことになりました。個人的には平成19年(2007年)改正消安法施行時の製品リコールが実質的な企業法務デビューのようなものだったので忘れようがないというのもありますが。

 うるさがれようが古いといわれようが次の世代に申し送りしなければならないことはあります。若干総花的な印象はありますが、タイムリーな企画だと思います。
 やや「昭和的」な企画タイトル、何年か前中央経済社にお邪魔したときの応接室の風景を思い出しました。
 他の記事については別エントリーで。

  

「企業文化」への監査アプローチ

 2000年代初頭、次期マネージャー対象の社内研修講師をしていた頃の話。カリキュラムの導入は当時人気があった「プロジェクトX」を教材に(当然許諾は得ての話)したグループディスカッション。「プロジェクトが成功した要因は何か」という設問に対して、題材となった企業のせいもあってか、どの研修回でも必ず「企業風土、社風がよかったから」という回答が上がったものです。
 企業不祥事があとを絶たない今、「不祥事が発生した、防止できなかった要因は何か」と問えば「企業風土、社風が悪いから」という回答が返ってくるのでしょうか。
 研修では「企業風土や社風は誰がどのように作っているとお考えですか」 とフィードバックしたものです。

 おや?と思って手にとった「『企業文化』の監査プログラム」(稲垣浩二著 同文舘出版 2018年)。
 著者はトーマツのパートナーです。おや?と思った理由は、会計、会計監査系の書籍のタイトルで「企業文化」の文言が含まれているのをあまり見かけたことがなかったからです。自分が知らないだけかもしれません、他にもたくさん出版されているよ!ということでしたらご容赦)。想定読者は若手会計士と思われます。不正会計や不正ではないけれども誤った会計処理に対する指摘、助言だけでは問題は解決しない、もっと具体的に企業にアイデアを提供することが必要で、その対象の一つが「企業文化」である、というのが本書の建てつけと理解しました。

 企業経営の生々しい実情に通じているのは法務側よりもむしろ会計側というのが実感としてあります。だからこそ企業法務担当者も財務・経理部門と立ち話ができる程度の会計知識は必要だと思っているのですが、会計側からも「企業文化」にアプローチしてくるなら、不正抑止、不祥事防止に関しては部門間の距離を縮めて取り組むことができるかもしれません。

 とはいえ企業文化というものは複雑怪奇です。自分の勤務先のように資本の出し手が2回変わったにもかかわらず本書でいうような伝統的な日本企業の慣習が抜けきったとはいえないのが実情です。
 内部監査でもって何をどう確認し、経営者サイドにどのような是正提案をしていくか。けっこうな課題を抱えたものだと改めて思うのでした。





 

(埋め草)右筆の憂鬱 ふたたび

 今日は梅雨らしい天候ですね。

 このタイトルで書くのは3年ぶりぐらいです。
 この春から改めて経営トップの下命で社外文書のチェックをしています。社内ではリーガルチェックという言葉が先行しているのですが、法的検討をどうこうというものはほんのわずかで、文書の構成の見直しや「本当にこの内容が提出先からの指摘や要請に応えているものなのか」というそもそものところからの確認といったものが多いというのが実情です。製品の製造過程、品質管理に関する文書を突然持ち込まれることもあります。販売や製品事業部門を経験してよかったと思うのはこういう場合ですね。

 自社社員のリテラシーの有様をみせつけられるのは精神的にしんどいことがあります。文書は事前にチェックできますが、日常業務の中で社内外の相手とやりとりされる電子メールの内容はどのような有様なのか想像するとちょっと恐ろしくなります。

 ここ2ヶ月ほど文書確認の業務を行ってきて再確認したことは、要は文書の出来の良し悪しの確認ではなくて「何を伝えたいのか」の確認であり「そのための材料(事実)が揃っているか」といういまさらなことでした。

 文書チェックといった業務のこの先ということも考えざるを得ません。口頭、文書、電子メールと伝達手段が増え、さらにはクラウド系のツールで短時間で意思伝達と決定まで(やろうと思えば)行える時代、短時間であっても手間をかけ文書をチェックするといったレベルで間に合うのか。チャットの時代に「第三者のチェックが必要な程度のリテラシー」で仕事になるのかという疑問・不安が日々膨れあがっています。(いうまでもなく自分のことも含めてです。)
 
 では。
 

 


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