企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常


リセット リスタート 

 備忘録程度ですが。

 鎮火した頃なので、某母校の箱根駅伝予選敗退ついて。

 「負けに不思議の負けなし」という元プロ野球監督の言葉のとおり、今回の敗退は「なぜだ?」という人よりも「やはり」という感想を抱いた人の方が多いと思います。残念であることには違いないのですが、事情通のOBの話によるとあのレース結果であっても持ち直してきたほうだとか。確かにローカルレースである箱根駅伝以前に公式の駅伝レースに出場できていませんでしたからね。

 弱くなっていく組織というのは突然弱体化するのではなく、じわじわと何年もかけて弱体化していきます。企業も同じで、金融機関から通告されるとか、場合によっては重大事故・不祥事の発生によってそれが露わになるのですが、そこからの再建の道のりが厳しいのは周知のとおりです。10年、20年とかけて失ったものを短期間で取り戻すというのは容易ではありません。
 「聖域なき改革」の御旗(総論)を立てるのは簡単ですが、歴史がある大きな組織というのは「聖域」という分かりやすい領域よりも、社内外に多くのステークホルダーがいて、それらがそれぞれに「守るもの」を主張するものです。守るものを捨てさせるか、そのステークホルダーごと切り離すか、いろいろな
ことでまた時間がかかってしまうというのが現実ではないでしょうか。

 なんでもビジネスに結びつけて考えるのもアレですが、リセット、リスタートの難しさを目の当たりにした出来事だと思った次第です。



 

拾い読み BusinessLaw Journal 2016年11月号(2)【加筆】

 間が空いて、炭酸抜けコーラのようなエントリですが。
 心に留めた記事などを。

 冒頭「インサイト」『稼ぐ力と三つの防衛線』
 企業の稼ぐ力が落ちてきた時に不祥事が起こりやすいけれども、管理部門が監視を強めることの副作用か、いやいやそれ以前に監視を強めることができるかということなどをぼんやり考えました。

 「稼ぐ力」が落ちてきた企業がやりがちなことといえば(自分は製造業しか知らないのですが)、まず管理部門に代表される「間接部門」の削減。解雇するのではなく、機械化、省力化を背景に販売などの直接部門への配置転換。(結果的にそれで退職する者が出る)将来的な投資よりも目先の回収ということで基礎技術や生産技術などの部門への投資削減と、これまた量産部門への配置転換。
 ちょっと考えるまでもなく負けのスパイラルに入ってしいることが明らかなのですが、目前の決算対策に走らざるをえないというのが実態。こうなると稼ぐ力とモニタリング能力の両方が弱まっているので、不祥事が起こりやすいという感触でいます。
 業績好調の時でも不祥事はあります。個人の動機による着服などは、何年かに一度は起こるものと思っていますが、業績が下降線をたどる一方の時には組織ぐるみの不祥事が起こりがち。不正会計、性能・品質偽装を起こした企業は「稼ぐ力」が落ちてきていましたよね。表にははっきり出ないでしょうけれどモニタリング部門の人間が減らされているか、口を出せない状態に置かれていたなんてこともあるかもしれません。
 とはいえ、モニタリングだけ強化しても「稼ぐ力」を取り戻せるかというのは何とも。長い目でみれば効果はあるかもしれませんが、「稼ぐ力」が落ちた企業には残された時間はそんなにありませんからね。

 「稼ぐ力」をつけるには、あるいは取り戻すために、企業法務部門の人間が、どのようにコミットしていけるのか。ページを開いた途端にはたと手が止まってしまったのでした。


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過去はそんなに美しくない

 カテゴリーが妥当かはわからないけれど、リスク管理といえばリスク管理だろうと。

 広告代理店の新入社員の労災認定について色々と飛び交っていますが、残業当たり前のマネジメントで育てられ、そして管理職側に回った世代として何ができるか。
 
 若い頃は本当に残業漬けでした…と思ったのですが、20代当時は新宿高層ビル街にオフィスがあったのですが、そのビル街にある居酒屋のラストオーダーには間に合っていたので、残業したにしても21時までの間には仕事を終わらせていたということになります。今と違って携帯電話もメールもありませんから、取引先にFAX送信後ダッシュでオフィスを飛び出せばその日は逃げ切れるというのもあったかもしれません。
 本当に残業が多かったのは30代前後のバブル崩壊直後。本当に仕事を獲りにかからないと数字が作れませんでしたし、上司にホウレンソウの結果毎日遅くまで「指導」を受け、時計の針がてっぺんを回る頃から飲みに行き、またそこで「指導」を受けるという日々でありました。80〜100時間は時間外労働をしていた時期が数年続いていたと思います。(飲みの時間含まず、ですよ)
 年をとるとそんな日々ですら懐かしく思い出してしまうのですが、別に残業が懐かしいのではなく、自分が若かった頃が懐かしいだけ。脳内で都合よくブレンドされてしまっているだけです。
 たしかに厳しい業務の中で体得したものもありますし掴んだチャンスもなくはありませんが、それをスタンダードにしてはいけないと思うのですよね。30代半ばの頃、短い期間ですが上司になった人は当時普及しつつあったPCを使った業務はからきしでしたが、タスク管理は抜群で「残業させる奴は考え方と段取りがおかしいんだ」と毒づいていました。
 この毒づきが毒づきであってはならないわけで。

 若い頃、残業が楽しかったか、面白かったかといえばそんなことはなかった、楽しかったのは仕事を終えてあるいはぶん投げて夜の街に繰り出したほうの記憶なのです。
 労務コンプラだの何だのまたぞろ取り上げられると思いますが…
残業ありきマネジメントで育ったおっさんに必要なのは、自分らの過去はそんなに美しくはなかったことを認めることと、若い頃自分がされて嫌だったことは下の世代には味あわせないということを腹に落とすことではないかと思うのです。


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