企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常


正しい会社の売られ方 二度の売却を経て 3

 続きです。

 今回は金融機関との関わりから。
 過去記事と重複する点は予めご容赦ください。

 投資ファンド傘下企業と上場企業子会社になった後での大きな違いは、金融機関との関係でしょう。

 元々との企業グループにいたときは、グループ内金融による資金調達でしたから資金に関して金融機関と係わることはありませんでした。
 投資ファンド傘下の時期は、LBOのスキームのなかでの「借入人」の立場でした。投資ファンドが設立したSPCの借入を承継したもので、何のことはない売買された自社株式の対価を弁済していただけ。将来投資のための資金調達が行えない状況にありました。都合2回のブリッジローン、1回のシンジケートローン契約があったわけですが、借入のほか借換え手数料や抵当権設定の登記費用、契約書のリーガルチェックに要した弁護士費用などすべてこちらが負担していました。また借換えにあたっても、なんだかんだいって1ヶ月以上事務手続きに時間をとられました。
 再び上場企業の子会社となった際、グループ内金融の仕組みは使わないものの親会社の保証のみで何の隘路もなく借換え手続きが済みましたし、何より劇的に変わったものは借入金の「金利」でした。
【こんなに利率が下がるのかと】
 他の事例を知らないので何ともいえませんが、上場企業の子会社のほうが「安心できる貸付先」ということなのでしょうか。そしてLBOスキームではほとんどできなかった本来の意味での「資金調達」も可能になったのです。(もちろん限度はありますが)
二度目の売却で資金調達の不安が除かれたのは大きいですね。
 
一方当然のことではありますが企業としての「独立性」は失います。「カネ」の部分は親会社の与信ありきになるわけですから。「カネ」を中心に段階を踏むにせよ、親会社の諸々のシステムに組み込まれていきます。

買収されるということはそういうことなのです。

つづく

正しい会社の売られ方 二度の売却を経て 2

 
 纏めを急がねば。
「得たもの」「失ったもの」にとりあえず的を絞ります。

「得たもの」というより「失わずにすんだもの」になるのですが、最大のものは「会社」そのものです。
 短期間で二度の売買対象会社となりながら、ほぼほぼ会社の原形をとどめています。信用調査取材にたまに訪れる調査会社の人間にも「稀な例」といわれます。
 僕が「中の人」として、本編を書き残す時間がとれているのもその恩恵といえば恩恵です。

 そもそもの売却スキームの善し悪しは別に触れるとして同業他社への売却ということは、当然会社は消滅しますので、我々従業員の大半も長からず職場を去ることになったと思います。業界が縮小していくさなかでしたから、企業結合は規模でいえば1+1=2ではまったく意味をなさなかったわけですから。

 勤務先にとって厳しい時期に投資ファンドの下に入るというのは、いろいろありましたが「激変緩和」だったのかもしれません。
 また二度目のバイアウトにおいても異業種の傘下に収まるという形で企業として残りました。
勤務先の「企業再生計画」が「成功」と位置づけされても、それを否定する理由はありません。

 ただこのことをもって売却スキームと企業再生計画が「正しかった」のか、というと今もって「?」が付くのです。

 いったん区切ります。

正しい会社の売られ方 二度の売却を経て1

 さてそろそろ幕引きの章です。 

 主幹事証券の内部審査直前のタイミングで、投資ファンドがバイアウトを決定したことにより、僕は上場準備事務局⇒DD事務局⇒株式譲渡事務手続きとそのまま引き継ぎました。ええ、最小人数法務兼広報ですから何でもやるのです。感傷に浸っているわけにはいかないのです。
 今度の買主は異業種の上場企業でした。売却が内定した段階でもっとも神経を遣うのが情報漏洩。売主なり買主が意図的にリークするならともかく、対象会社から情報が漏れるわけにはいきません。株式譲渡の公表日時はいつか、クロージングはいつなのか。クロージングの段取りなど投資ファンドやFAと連絡をとりつつ、社長と役員数名と内密にその準備を進めました。
こちらも公表された直後から役員、従業員、主要販売先、取引先への説明などの段取りが要ります。役員や従業員説明のための会議のセッティング、社外向け文書の作成などなど。教えられなくとも買主の本決算発表日時にあわせて公表するぐらいの想定はつきましたし、まあ、2回めなので慣れていたというか。

 対象会社の担当者は、これも運命と思ってさばさばと仕事をこなす以外仕方がないですからね。

 企業結合審査の書類作成の手伝いをしてから3週間めに売主買主が株式譲渡を公表、その1ヶ月後勤務先は再び上場企業の100%子会社になりました。それから、まもなく2年です。

 前置きが長くなりました。
 5年経つか経たないかの期間に意味合いは違えど2回の売却を経て、勤務先は、そして僕は何を得て何を失ったのでしょうか? もし別の「売られ方」をしていたら、今と違う「現在」を生きているでしょうか。

 投資ファンド傘下の頃、社外からよく「出口戦略」という言葉をきかされましたし、質問もされました。

 僕がいえるのは、出口がIPOにせよバイアウトにせよ結局「入口」で決まるでしょ、左右されるでしょ、ということ。
勤務先の事例でいえば何で苦しめられたかというと、一度目の売却スキームにほかなりません。
なんといっても、いまなおそのときの借入金の弁済とのれんの償却が残っていますからね。

 以前「売れればよいのか」で書いたことと重複しますが、投資ファンド傘下となってから3年経過し、金融機関との融資契約がシンジケートローンになるまでは、毎年ブリッジローンでした。ブリッジローン契約で会社の資産のほとんどが担保設定されましたから、もう資金調達余力がありませんでした。企業再建といいつつも、本当の意味でのリストラに投資したくともできない状況が続いたわけです。属する業界、マーケット全体がリーマンショックの影響で低迷してきた時期と重なっていたことも災いしたこともありますが、資金面の懸念から3年もの年月を活きた時間にできなかったことが痛手だったと思っています。

(つづく)

                            
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