2007年当時の業界動向もあわせて、買主がつきやすかったのか考えてみます。

勤務先がもともとの企業の事業部門から分社したのは2001年。
分社後まるまる1社ごと売却することを前提にしていたとのことなので、よい価額で売却できるよう資本や資産を整えたようです。2006年会社法改正の際、非上場子会社なのに機関設計は大会社という図体になりました。
また一応総合メーカーでしたので製品ジャンルが数多く、そこそこシェアを確保しているものもありましたから、親会社としては売りやすい、と考えたと思います。相手は当然勤務先の同業他社でしょう。

勤務先売却を同業他社にいつもちかけたのか、いや持ちかけたのか本当のところはわかりません。
ただ持ちかけたとしても、取引が成立するのは難しかったと考えます。

2007年という年は建設業界にとっては悪い年まわりでした。
有名な耐震設計偽装事件を受けて6月に建築基準法を改正したのですが、あまりに性急過ぎて肝心の建築行政が追いつかず7月以降新築工事の確認申請許可業務が停滞したため着工数が激減。新設住宅着工戸数が前年比▲19%と、市場規模が一気に縮小した年でした。
この件がなくても同業者で構成する業界の会合でも「プレーヤーが多すぎる」という声が聞かれるようになった頃です。
既に世帯数減少、人口減による市場縮小の見通しがありましたから、どのメーカーも生産拠点や物流拠点を統廃合する考えはあっても、同業者を買収して単純に拠点や人員を増やすという考えはなかったと思います。製品事業毎の話であれば可能性はまだあったかもしれません。親会社は勤務先1社丸ごといい価額で売却することが前提でした。連結で1000人以上の従業員を増やすことは同業者にとって現実味がなかった、と思います。また、シェアの高い製品については公取委の審査の時間も必要で買主候補の規模によっては認められない可能性があったかもしれません。
しかし、何より経営悪化が進んでいる会社を買収するほど経営に余裕をもつ同業者はなかったと思います。毎月確実に市場が縮小していくのを目の当たりにしている状況で親会社が買収を持ちかけたとしても「1社まるまるの買収は勘弁してください」という回答されるのがオチだったのではないでしょうか。

2007年夏の終わり頃には買主候補に同業者の姿がなく投資ファンドだけが買主候補になっていたところをみると、同業他社への売却案は早い時期に廃案となったのではないかと勝手に推測しています。

では今日はここまで。