2015年01月02日 17:56

所感めいたもの


 元の所属企業の入社同期の者からの年賀状に、昨年その企業が実施した早期退職に同期8名が対象になったことが記されていて、ああ我々もそういう年代に差し掛かったのかと実感せざるをえませんでした。
のっけから、こんな前振りですみません。皆様、明るい新年をお迎えでしょうか。

 昔から年初の目標を掲げるのが苦手な方なので結局それなりな人生を送っているのかもしれませんが、ここ数年、ますますその傾向が強くなっています。外的要因に左右されることが多かったからでしょうか。「何が起こるかわからんしな」というのは、まあ、言い訳ですが。

 「軽く、深く」を信条に置くのはこれまで通りとして、今年何か付け加えることはないかといえば、「容れる」ということでしょうか。語呂・語感がいまひとつですが。

  昨秋、年代がひとつ上がったこともあり、何かの拍子に「今までと違う」ものを感じるときが増えました。例えていうなら、走り抜けようにも、腿が上がらない、息があがる、駆け抜けることができたとしても、その後しばらくは立ち上がれないといったところでしょうか。自分では変わっていないつもりでも、30代、40代と比べれば確実に落ちる、衰える部分はありますからね。人によってはショックを受け、自信喪失に繋がることもあるかもしれません。それでなくとも、この世代になると自分や自分の仕事だけでなく家族や家庭の事情においても簡単でない事柄が生じますからね。中高年の鬱は他人事ではないなあと。

 高い目標を掲げ「頑張る、頑張れる自分」であることも大事ですが、ときに「頑張れない、弱い」自分を受け容れるようにしていないと自分がつらくなるのではないか、そのつらさが周囲にも影響を与え悪循環を招くのではないでしょうかね。
 不本意、不都合な事柄というものはいくらでも起こるものです。自分の理想や目標から大きく逸れる事態もあります。ただ自力ではどうにもならないものに拘り続けていては、かえってストレスで心身を傷つけるだけではないかと。
 弱くなった自分、不本意、不都合な事実をいったん受け容れるほうが覚悟が要るかもしれませんが、腹決めをするだけの経験や知識はもっているはずですしね、中高年は。

 こんなところが所感めいたもの、でしょうか(謎

 本年もどうかお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
 
 

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