2012年01月

2012年01月31日 00:45

 ケースによって異なるだろうけれど、デューデリジェンス初日、キックオフはこんな感じでした。

■相手方は30人ぐらい
 買主予定の投資ファンド、 アレンジャーとなる証券会社、法律事務所、監査法人、コンサルティングファーム数社、親会社(目付け役でしょう)
■当社側
 取締役社長、経営管理部門取締役、経理部長、経理課長、社長室長(当時、法務は社長室所属)
 法務担当(自分)の6名
■証券会社から全体スケジュールと作業手順、実施場所(会議室を確保しました)
■監査用チェックリストの配布
■対象会社コンタクトパーソン(要するに我々6名)の紹介
■名刺交換

たしかこんな段取りでした。コンタクトパーソンとして6名出席しましたが、社長や役員がいちいち対応するわけではないので、実際は経理部の部課長と自分の3名が約3週間の期間中、毎日対応に追われることになりましたが。

法務部門が対応する法的監査のチェックリストの内容はといえば、大項目で10項目、中項目として①資料原本提出を要するもの②資料作成依頼するもの③担当役員、担当者または適切な人物へのインタビュー実施 に3分類され、①②③合わせて160項目ほど。
ただし①や②を提出すると、その内容に対する質問項目が新たに追加されるので、3週間でどれだけの資料説明やヒアリングが繰り返されたことやら。毎日監査担当が帰るまで先に帰るわけにもいかず、通常業務が免除されるわけでもありませんでしたから、カオスな1日になる日もありました。事業会社に吸収されるのと異なり、LBOスキームですから、このあと金融機関との金銭消費貸借契約締結が控えているということも監査内容の細かさ(執拗さ)に影響していたと思います。

しかし、当時デューデリにどんな腹積もりで臨むか、正直なところM&Aの経験がない我々は見当がついていなかったのでした。
売主である親会社は、1円でも高く売りたいわけだし、買主側は安く買いたい。我々としては、ファンド傘下になった数年後はバイアウトなりIPOという局面を迎えるわけですから、売値(買値)は抑えたい、しかしまだ子会社の身分で親会社は目を光らせている。
100%子会社だった当時、我々はいわば世間知らずの初心な坊ちゃんだったのです。今にして思えばデューデリを受ける側にも何らかの作戦がとれたのではないかと思うのです。(この項、まだ続く)


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2012年01月29日 01:30

法務らしい話に戻します。

 勤務先売却の概要をざっくり表すと、こんなところ。
  売主:親会社(東証1部製造業)
  買主候補:投資ファンド
  対象会社:勤務先
  投資ファンドの買収スキーム:
   ファンドが設立するSPCを利用したLBO
 
 投資ファンドへの売却というと、2007年当時は「ハゲタカ」のイメージが付き纏ったのと、同業の企業で外資の「ものいう株主」との応酬が始まった頃だったと思います。幹部の間にも少なからず動揺があったので、さっそく定例会議に投資ファンドのパートナーがやってきました。そしていわゆる「ハゲタカ」ではないこと、投資先企業とともに企業再生に向けて汗をかくつもりだなどと説明し、企業再生のプロセスについてプレゼンを行いました。それをきいて動揺していた事業部門や営業部門の幹部や中間管理職も少しは落ち着いたようですが、こちらは株式譲渡契約締結に向けた作業のほうに関心がありプレゼンに対しては正直「ふーん」という程度の感想。
 その作業とは、そうです、デューデリジェンス対応です。
 
 企業提携や買収などの実績のある企業ならともかく、40年余も企業の一部門に過ぎなかったので、経営陣ですら「デューデリって何?何されるの?」という反応。(自分もそうでした)親会社の法務に訊くのも癪なので、参考になる書籍はないか本屋にかけこみました。
 売却(買収)が決まった企業の法務担当者はどのような対応をすればよいのか、と探してみたのですがありませんでした。(まあ当然ですね)あと数日で読み切り、そこそこ理解できそうな書籍を探したところ、ありました。中央経済社の「M&Aを成功に導く 法務デューデリジェンスの実務」。買収の立場側の内容ですが仕方がありません。即買いで読みました。 将来を思い、何回もため息がでました。

 そしてデューデリのキックオフの日を迎えたのです。(続く)


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2012年01月26日 00:47

「予想外のサプライズ」

用意万端整えたはずが、直前でスクープとして抜かれたときの敗北感、脱力感。
前日というか公表当日の深夜、携帯で連絡をとりあった結果、記事と放送は止められないとわかったのが2時前だったでしょうか。

朝6時台のTVニュースで「●●(親会社)、不振の●事業から撤退」と流れました。何も知らない社員が受けた衝撃はすごいものだったと思います。親会社からみれば撤退なので間違いではないのですが、当社が事業停止するわけではないのでこの扱われ方はひどいなと思いましたが、もうどうにもなりません。
朝の「緊急会議」を含めてすべての段取りを変更、本社で急遽朝礼を開き、外部からの問い合わせは窓口を広報(自分と上司)に集約することを周知したあと、官庁、業界団体等への報告のアポイントを取って、午後から何箇所か報告に廻りました。そういえば、その日は冷たい雨の日でしたね。

夕方、社に戻り親会社の株価をみたところ、ストップ高となっていました。もともと四半期決算の内容がよかったことに加えて、不振事業の売却話が具体化したことが「予想外のサプライズ」として市場に好感云々というコメントがありました。
当社の存在がいかにネガティブ要因だったのかを株価という形で思い知らされ、情けないやら、悔しいやら、唇をかみしめるよりありませんでした。

この日から1週間ほどのちに、売却に向けての作業が本格的に始まりました。
デューデリジェンスです。(不定期につづく)


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2012年01月25日 02:18

「あなた、会社で何かやったの?」「え、なんで?」「家の前に新聞記者がずっといるんだけど」

冒頭は出張先から東京に戻る途中の社長と奥様の電話のやりとり
親会社が当社売却の基本合意締結公表前夜。
一部メディアが今回の売却話をききつけ、親会社の社長や売却対象の当社の社長の談話を取りに文字通り自宅に夜討をかけてきたわけです。
ま、リークがつきもの、ですからね

1.で書いたとおり、親会社社長からあっさり通告されたあと、自分がやることといえば、親会社の法務と広報とコンタクトを取り、直近の作業諸々の工程をすり合わせることでした。親会社(上場企業)第2四半期決算開示日に合わせて当社売却に関するプレスリリースを行うこと、基本合意締結ののち、年末までに株式譲渡契約締結まで一気に詰めること、などを確認。とりあえず親会社広報とリリース後の想定問答作成にかかりました。公表まで残すところ10日ほどでしたからね。
当社の販売先、取引先、そして何より従業員にとって寝耳に水、な話ですから、親会社の視点だけで作成されたリリースや想定問答だけでは十分とは思えなかったし、その点、広報は理解してくれていました。(とはいえ、売却される会社の意思で回答できる範囲は非常に狭かった)
「公表日」2日ぐらい前、親会社のプレスリリースは四半期開示日同日、大引け後、と正式決定したのを受け、「公表日」の朝9時に役員、工場長、子会社社長、本社部課長を「緊急会議」として招集したり、公表後の販売先、取引先、官公庁、業界団体などへの通知方法などばたばた段取りしているうちにあっというまに「公表日」前夜。
当時の上司と「もー、あとは明日!」などと軽く呑んで帰宅したのが夜10時過ぎ。

すると上司から携帯に着信アリ..でてみると
「明日●●放送に抜かれるかもしれない」
         (この項つづく)


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2012年01月23日 01:38

法務とはあまり関係ありませんが、まあ背景として。

会社(または事業部門)が売却されるには、当然相応の理由があります。
次の場合に該当する場合は、まず間違いなく売却検討の俎上にあると考えていいでしょう。
 (1)会社、企業グループの戦略上ノンコア事業に位置付けられた
 (2)会社、企業グループとの取引上シナジー効果がない
 (3)不振事業

で、勤務先の場合、当時見事に3つに該当していたのです。
証券アナリストによる親会社のレポートには必ず「●部門をいつまでグループ内におくのか」
と勤務先が連結グループ内にあることがネガティブ要因であると書かれていました。
正直読むのが辛かったですね。
しかし、親会社はグローバル企業でしたから、特に海外の投資家から社長やIR担当にはもっと容赦のない質問が投げかけられていたことだろうと、今の自分なら想像できます。

でも、こちら側は「子会社とはいえ元は親会社の事業部門*1で、同じ釜の飯をくっていた仲間」「売上規模は決して小さくない」などと経営陣に限らず、ほとんどの従業員はそう思っていました。親会社はいつまでも「親」のような存在、「資本の出し手」とは思っていなかったのです。
まさか突然「資本の理屈」を持ち出してくるとは!そんな感じでした。完全に見誤りです。

では、何の予兆もなかったかというと、実はそうではないのです。
たとえば
当時人事や経理部門の人員は親会社からの出向者が占めていました。
その中でも本社風を吹かさず、実直に業務を行う優秀な若手スタッフから順に親会社に戻って行きました。
当時自分はまだ営業部門にいましたが「おかしいなー、なんかあるなー」と思っていました。
あとで親会社から転属してきた役員にきくと売り払う会社に親会社側の将来ある若手スタッフ*2を置いておく理由はなかったから、ということでした。
なんと正直でわかりやすい..

この文章を読んだ方が、上記のような状況におかれていないことをお祈りいたします。


*1:2001年の商法改正施行にあわせて事業部門を分社されました。
 まあ、このあたりから伏線があったというか。
*2:当然全員が戻ったわけではありません。自分のように元々事業部門に
 所属していて転籍した人間は思い切ることもできますが、親会社に出向
 復帰できずこちらに残されてしまったスタッフには少しばかり同情します。


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