さてそろそろ幕引きの章です。 

 主幹事証券の内部審査直前のタイミングで、投資ファンドがバイアウトを決定したことにより、僕は上場準備事務局⇒DD事務局⇒株式譲渡事務手続きとそのまま引き継ぎました。ええ、最小人数法務兼広報ですから何でもやるのです。感傷に浸っているわけにはいかないのです。
 今度の買主は異業種の上場企業でした。売却が内定した段階でもっとも神経を遣うのが情報漏洩。売主なり買主が意図的にリークするならともかく、対象会社から情報が漏れるわけにはいきません。株式譲渡の公表日時はいつか、クロージングはいつなのか。クロージングの段取りなど投資ファンドやFAと連絡をとりつつ、社長と役員数名と内密にその準備を進めました。
こちらも公表された直後から役員、従業員、主要販売先、取引先への説明などの段取りが要ります。役員や従業員説明のための会議のセッティング、社外向け文書の作成などなど。教えられなくとも買主の本決算発表日時にあわせて公表するぐらいの想定はつきましたし、まあ、2回めなので慣れていたというか。

 対象会社の担当者は、これも運命と思ってさばさばと仕事をこなす以外仕方がないですからね。

 企業結合審査の書類作成の手伝いをしてから3週間めに売主買主が株式譲渡を公表、その1ヶ月後勤務先は再び上場企業の100%子会社になりました。それから、まもなく2年です。

 前置きが長くなりました。
 5年経つか経たないかの期間に意味合いは違えど2回の売却を経て、勤務先は、そして僕は何を得て何を失ったのでしょうか? もし別の「売られ方」をしていたら、今と違う「現在」を生きているでしょうか。

 投資ファンド傘下の頃、社外からよく「出口戦略」という言葉をきかされましたし、質問もされました。

 僕がいえるのは、出口がIPOにせよバイアウトにせよ結局「入口」で決まるでしょ、左右されるでしょ、ということ。
勤務先の事例でいえば何で苦しめられたかというと、一度目の売却スキームにほかなりません。
なんといっても、いまなおそのときの借入金の弁済とのれんの償却が残っていますからね。

 以前「売れればよいのか」で書いたことと重複しますが、投資ファンド傘下となってから3年経過し、金融機関との融資契約がシンジケートローンになるまでは、毎年ブリッジローンでした。ブリッジローン契約で会社の資産のほとんどが担保設定されましたから、もう資金調達余力がありませんでした。企業再建といいつつも、本当の意味でのリストラに投資したくともできない状況が続いたわけです。属する業界、マーケット全体がリーマンショックの影響で低迷してきた時期と重なっていたことも災いしたこともありますが、資金面の懸念から3年もの年月を活きた時間にできなかったことが痛手だったと思っています。

(つづく)