2014年09月

2014年09月26日 12:05

 文章力、文章術の向上をうたう書籍や記事は本当に絶えませんね。
「ビジネス法務」の11月号の特集記事も「法務部の「伝わる」文章術」ですね。
このような特集が組まれるということは、自分が書いた文章が相手に伝わらなくてお悩みの企業法務部員がいらっしゃる、ということなのでしょうか。
法務部門の人間は文章作成能力は高いと思うのですが、その読み手に通じるものではなくては、読み手にとっては外国語で書かれているのと似たようなものですからね。
「たぶん正しいのかもしれなけけれど、難しくてよくわからないよ」とか「このままじゃ、お客さんに説明できないよ」といわれるケースがあるのかもしれません。
「文章」ではなくて「文章」とした理由は、力はあるのだからあとはそれを「活かす術」だよということでしょうか。

 自分がサラリーマンになった昭和末期(こう書くと本当に年取った感が増すなあ)は、オフィスのフロアにワープロが数台置いてあるという状況で、日常業務で作成する書類というのは、ほぼ手書きです。正式に提出する見積書や請求書のほか社内稟議書類でさえカーボンを通して2枚、3枚綴りにして(わかるかな)ボールペンでがりがり書いていたものです。
 その頃は販売部門にいましたので、稟議書類の内容は「工場出荷価格の特別値引依頼」、「●物件受注対応に関するお願い」といったものですが、上司に判子をもらう以上下書きの段階で文案を見てもらういます。すると、冒頭の数行を読んだだけで「だめ、書き直し」といわれるか「ちょっと預かる」と持っていったあと、しばらくして赤ペンで真っ赤になったものを返されました。
いわく
「文面からお前の意思が読み取れない」
「読み手のロジックや関心事を考えたか」
「何のために書くのだ?読んでもらって終わりか?アクションをとってもらうのが目的だろう」

などなど鬼の指導を受けました。(だいぶあとになってミントの「考える技術・書く技術」を読んで、似たようなことが書かれていたのでびっくりしましたねえ)
ひとつの文書が完成させるまで時間がかかりましたし、ごりごりと指導を受けているときはしんどかったのですが今になって思えば、というところですね。あの時期を通じて得たのは「文章力」のほうだったと思います。


 読み手の思考、関心事、読んだときの反応を想定しながら書くというのは簡単な作業ではありません。
文書作成に時間ばかりかけてもいられない現実もありますが、だからといって文書テンプレート頼みや小手先のテクニックだけでは文書は格好がつくかもしれませんが、読み手に底の浅さがばれてしまうかもしれません。
 限られた時間で読み手に伝わる文書を書く、ということに必要なのはやはり「力」の方ではないのかなあと思った次第。





 

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2014年09月24日 06:54

 旧ブログに残したとおり、勤務先の資本の変遷、企業再編により、手間はそれほどかからないけれど定期的に必ず対応しなければならない仕事が、「信用調査会社からの取材対応」。
それまで販売先の債権保全のために調査業務を委託していただけだったのが、一転「調査される」側になってしまいました。それは再び上場企業の子会社となった今でも続いています。調査会社のクライアント(たぶんサプライヤー)からみれば、業績のほかに短期間で親会社が何回も変わった企業ということで定点観測の対象となっているのかもしれません。

 「会社の評判 」というものを初めて意識したのは最初の株式譲渡のとき、大企業グループから切り離され、当時はなかなか世間の信用を得にくい投資ファンド傘下になったときです。(「ハゲタカ」のイメージが強烈でしたからね)
 40年以上も使用してきた商標の使用許諾が打ち切られるため、旧ブランド撤収と新商号、商標、ブランドロゴなどを短期間で作り出さなければならず、経営再建のさなかに多大な時間と費用をかけなければなりませんでした。もっとも、この作業は株式譲渡のショックを和らげ従業員のモチベーションの維持・向上をはかろうとしたのか若手社員が中心に担っていました。

 企業ブランドというのは、カネをかければ確立できるものではありません。耳障りのよい企業スローガン、見映えのよいブランドロゴでそれが手に入るのであれば苦労しません。「いいデザインロゴになりましたね」、信用調査会社の調査員もそうはいってくれますが「で、撤収含めて費用はいかほどかかりましたか」という質問に。会社の評価は結局財務諸表に記載された数字からしか得られないということをいやというほど感じました。

 企業ブランドというのは、なかなか企業の思惑どおりに育たないものです。本業への投資だけでなくイメージ戦略に巨額投資できる企業であればともかく、そうでない企業はどのように世間の評判をかちえていけばよいのか。カネをかけてもなかなか効果を得られないブランド戦略よりは、まず内部管理をしっかり行い、財務諸表の一番下の数字を積み上げていくことでしょう。特に経営不振に陥り何らかの企業再編といった目に遭った企業はそうでしょう。

なにかにつけ自分がこのように主張するときの支えになった書籍をリンクに貼付けておきます。発刊年次がやや古くなりましたが、今でもたまに手に取ります。






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2014年09月19日 06:48


 法務系雑誌に取り上げられている企業の事例を読むと、さすがに事例となるだけのことはあるなと思いますし、取り入れてみようかとも思うのですが、そもそも企業の規模や法務に配置している人員が違い過ぎてため息をついておしまい、ということが多々。

 子会社のビジネスリスク、リーガルリスクを親会社がどこまで把握できるか、理解できるか。
元の親会社から子会社を枝分かれさせてグループ化したところはともかく、企業買収を繰り返してグループ事業を拡大してきた(あるいはしようとしている)ところはどうなのでしょうか。例えば買収の結果異業種の子会社を抱えた場合。
 異業種ですから、当然ビジネスリスクもそれに伴うリーガルリスクも親会社のそれと重なるとは限りません。買収によって親会社の法務部門がチェックすべきリーガルリスクが増えます。親会社の法務がそれらに手当できればよいのですが、企業の急成長、拡大に追いつかないという例もあるのではないでしょうか。関連法令だけでなく、商習慣、商習慣というよりも「しきたり」、もっといえば「アンタッチャブル領域」をすみやかに把握、理解できるでしょうか。それをやってこその「親会社」とは思いますが、ちょっと酷とは思います。買収前のDDでビジネスリスク、リーガルリスクに関する質問は必ずありますので回答はしますが、微に入り細に入り回答するわけではありませんし(訊かれたことに回答するのみ、です。正直)DDに買主候補企業の法務担当が同席するわけでもないので、買ってみてびっくりということもあるのではないでしょうか。

 そんな事情も考えながら子会社法務は日々を過ごすのですが、前回でもとりあげた「接点部門」にリーガルの人が配置されていると多少は違ってくるのではないかと思うのですが。。。





 
 

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2014年09月16日 06:45

 連休明けは身体が重いですよね? ええ、気分もですが。

 グループ会社(子会社)管理は、法務部門だけでなく、人事労務部門、財務会計部門の課題とアプローチがあります。法律系の月刊誌だけでなく、これら人事労務系、財務会計系の書籍にも特集記事が組まれることがあります。見出しを眺めながら、子会社はいろいろな部門から管理されるなあ、しかしどの部門(誰)のいうことを優先すればいいのだろう、あちこちからいっぺんに色々いわれてもねえ、と思わざるをえません。

 親会社によっていろいろアプローチがあるものと思いますが、自分自身の経験でいうと親会社の法務部門から直接何らかの指示を受けたことはないのですね。元企業グループにおいても、現在のグループにおいても「関連会社室」や「グループ会社管理室」といった部門(とりあえずここでは「接点部門」といいましょうか)を経由してくるケースがほとんどで、逆にこちらからも必ず「接点部門」を通じて、ということになります。
直接関わってきたのは、元企業グループにいたときの「リコール」対応のときぐらいでしょうか。
 
 さて接点部門、その機能・役割や構成員について。
 親会社が上場企業であれば、子会社業績(損益)管理が優先順位の上位にあるのは間違いのないところ。
月次の連結決算、差異分析といった作業を月半ばまでには纏めなければならないので、日程どおりに月次業績を報告させるのと、上振れ・下振れがあった場合の理由を説明させるなどの仕事の比重が高いでしょう。接点部門には財務・会計系の人間が配置されるのも道理です。で、財務・会計の接点は意外と多いしパイプも太いのです。
では法務系や人事労務系の人間が配置されているかというと、(あくまで自分の経験ですが)そういう人がいたという記憶や印象が薄いのですね。
 接点部門とは別にCSR室やらコンプライアンス部といった部門が設置されている場合は、リスク管理はそちらで、ということですが、法務部門とはやはり違いますしね。
 親会社の考え方(思想?)や社風が現れるところなのかもしれません。
 
 下からいわせていただくと、何事も接点部門を介すということならそこであらかたのことは捌いていただくほうが効率がよいので、接点部門には法務、人事労務系の人材を配置されていると助かるというのが正直なところなのですが、まあ、そこは「仕方がない」のでしょう。

 リーガルリスク管理についてのあれこれは引き続き次回。

 
 
 

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2014年09月10日 06:52

 具体的なことは書けないので容赦願いたいのですが。

 因果応報、悪いことをすれば必ずその報いが当事者に巡ってくるというのは、個人のみならず企業も同じ。
 過去の出来事の報いが「なぜ今になって?」ということがあります。「当時のことはわかりません」で済むはずはなく、書庫に行って古い資料や議事録などをひっくり返して「当時、何をもってその判断を下したのか」を探し出す作業に追われることになります。
 その結果「当時としては適切な判断をしたつもりだが、現在の視点では不十分なものだった」といえるものが得られればまだ「まし」なのですが、ときとして「結局、何も判断していないな」という事例にぶつかることがあります。(要するに記録が何も残っていないということ)
そういう事例に限って関係者が全員退職していたりするので、処理にあたる者としてはやりきれない気持ちになります。関係者の面子をみて当時の有様はなんとなく予想がつくのですが、結局面倒を避けたというだけの事なのです。

 いやなことは避けたいものですが、いっとき避けたところでいずれ追いかけられるものです。
判断を避けたことにより次世代に報いがいくような行動をとってはいかんだろうと強く思うのです。
自分も同じことを繰り返さないようにしないといけないのですが。

 リスク管理とひとくちでいっても、過去は返られないですからね、ブーメランをくらうのはなんともしんどいものですわ。
 



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