出張で不在でした。疲れが抜けません。
 ワンパターンではありますが、定点観測という備忘録。

 サラリーマンになって、丸々29年が経ちました。入社当時の自分の目に今の自分と同じ年齢の社員がどう映っていたかを思い出すとがっくりきます。明日月曜日に2時間弱、新入社員研修で講義をするのですが、まあそのように?映るのだろうなと 。

 おっさんというのは自分がなってみると哀しい生き物だとわかります。
 IT化に追いついていけない、英語どころかビジネスカタカナ語もよくわかっていない、「使える」「使えない」だのと好き勝手いわれ、自分は違う、老けこまないつもりでいても、もはや老眼鏡無しでは契約書ドラフト、会社貸与のスマホの画面の文字が読めない。人間ドックの検査結果の数値に一喜一憂し、ウォーキングなどを始めて一駅、二駅分歩いてみたり。あああ。

 20代後半、30代前半の血気盛ん、生意気盛りの頃、自分も確かにほざいていましたよ「あのおっさん、使えねえな」などと。
 しかし考えてみれば「使えなくなるおっさん」がいたから、下の世代がその立場に取って代わるという面もあったわけです。適度な循環というか緩やかな淘汰といいましょうか。
だからいつまでも「おっさん」がキレキレの「使える」ままでは困るのは若い衆なのですね。「使えないおっさん」が一定数発生しないと、自分の出番が来ないうちに「おっさん」になってしまいます。そしてさらに下の世代に「使えねえ」などとほざかれてしまうのです。
 こういうことは何年たっても変わりません。

 ただ昔と違うのは、大企業でも企業再編などでおっさんの出向、転属先であったグループ会社の数が減り最新のスペックでないおっさんが働ける場所がなくなっていることです。またIT化によりおっさんの仕事が実はベテランでなくとも出来てしまうことがわかってきたことも影響しているかもしれません。
技術系でない、自分のような文系出身のおっさんは生存することすら危ない状況です。生き物として生存し続けようと本能が働かすことに数%ぐらいは分があると思いますよ。あからさまなしがみつきはさすがに同世代としても眉をひそめますが。

 しかし「使える」「使えない」とひとくくりにいいますが、「誰にとって」「何の目的に」というところが抜け落ちて取り上げられますよね。おっさんが今後も「使える」存在であろうとするならば、この「誰」「目的」を見直すことではないかと。

 まあそんなことを満開の桜を眺めながら、ぼんやり思うのでした。