2016年11月

2016年11月28日 07:00

 月刊誌の時間では、もう年が明けているという。今週半ばは師走ですしね。

 拾い読み、BLJです。
 特集「小さな不祥事を大きくさせない危機管理術」
 組織は人の集まり、十人十色とはいいますが人の数だけ事情がある。不正や違反(うっかり違反を含む)などの不祥事リスクも人の数だけ存在するというもの。とはいえ、各部門部署に法務コンプラ担当を張り付けられるかというとそうもいかない。不祥事ゼロ、あるいは初期消火というのはそうそう容易いものではない、というのが実感としてあります。
  不祥事の芽というか種は、社内のどの部門にも等しく埋まっていると思っています。それに(悪い意味で)水をやり、肥料をくれてやってしまうのが現場のマネジメント。過酷なノルマ、ハラスメント、ディスカウント(無視、無関心)、アンフェアな人事評価、緩いチェック能力などなど。いくつか「小さな不祥事(=事件にはならないという意味)」の処理に関わりましたが、「なぜここで現場で手を打てなかったか」とため息をつくこと数知れず。どうだったのと尋ねると「全く気づきませんでした」と肩を落とすマネージャー。
 「気づけ!」といったところで、マネージャーに不祥事の芽に気づくだけの知識も経験もなければ酷というもの。ではマネージャー向けに不祥事防止マニュアルやガイドラインを準備してコンプライアンス教育を充実させれば不祥事は防げるのでしょうか。

 「エモーショナルコンプライアンスの理論と実践」連載第2回め。
今回も序章の続きという印象で、特集記事とは直接にはつながる内容ではありません(当然ですよね)。しかしなぜコンプライアンスが定着しないのか、という点でうなずけるのが「べき論」的コンプラ。
 勤務先もそうなのですが、総会屋、海の家事件あたりの反省からコンプラをスタートさせているので事務局が唱える「べき」「べからず」的色彩が強く、実務現場の人に考えてもらう余地がありません。「べからず集」に含まれていなければ「やってもいいのかな」と捉えらかねない部分がありますし、素直に守られても「べき「べからず」とした趣旨や背景を理解してもらわなければ形式化しやがて形骸化するだけ。
 そんなわけで勤務先でもコンプライアンスの運営を見直すことにしたのですがなかなか難しいものです。次回の展開を待ちます。

 取り急ぎこんなところで。






 

  

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2016年11月24日 06:00

 ヘルプラインか、それとも相互監視になってしまうのだろうかという話。

 過日、取引先(といっても、現在どの部門でどれほどの取引があるのか不明)から、代表者宛に1通の案内が届きました。いつものように「見ておいて」と封も切らずに渡されたのですが(ノールックパスと呼んでいます)、その中身がその取引先の「企業グループ取引先企業倫理ヘルプライン制度の設置」でした。

 不動産・建設業界は非常に裾野の広い業界で、取引先と一口にいっても大企業から個人(一人親方)まで数えれば千を超える数になっても不思議ではありません。支払口座のあるところに全部案内を郵送したとしたら、それだけでどれほどのコストがかかったことやら。
 請負(うけおい)と書いて「うけまけ」と読む業界と散々いわれていますが、案内の文面には「運命共同体」としての取引先企業の懸念の解消や解決に繋げる、一層の共存共栄を図るといった趣旨が書かれていました。
 建設業界はここのところ「例の傾いたマンション」事件のように、施工データの偽装や施工不良の隠蔽などとかく良くない話題が多かったのですが、その原因を昔ながらの「請け負け」の風土に求めるのはいたしかたないところ。元請企業の法務・コンプライアンス部門としては自社の無理強いにより施工不良が発生し、結果として企業価値を毀損することは回避したい、早期にその芽を摘んでおきたいと通報制度を立ち上げるのは必然の成り行きなのかもしれません。
 気になる点はいくつか。裾野の広いこの業界、数次にわたる請負では何も元請だけが諸々の無理強いの当事者とは限りません。中間の業者が当事者の場合もあります。このような場合でも相談や通報が入れば法務・コンプラ部門が調査や是正に入るのか。現場の工程に影響が出てまでもやるのかという点。もう一つはよくも悪くも「現場仲間」、他の職種のミス、手抜きを積極的に通報するだろうかという点。もっとも諸々のことは織り込んだうえでスタートさせたのでしょう。
 来年以降、この企業のCSRレポートにでもこの制度を発足したことや利用状況が公表されることになるでしょう。請け負けの風土を変える制度になるのか、今後が非常に気になります。

 (企業名を明記しようかと思いましたが、本制度開始のリリース等がないようでしたので伏せたままにしました)


 

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2016年11月15日 05:57

 米国大統領選挙関連で、様々なニュースやその続報がすっ飛んだ感じがするので、メモ代わりに。

 某イベントでの展示物の火災で小さな子どもさんの命が失われた事件について。

 「最近の若い(建築学科出身の)社員は、建設現場の仕事につきたがらない。嫌う。設計ばかり志望する。」と大手ゼネコンのとある現場所長の嘆き。現在の話ではなく、20年ほど前の話。

 しがない下請業者の営業マンですら、建設現場の「安全」に対する徹底ぶりは身にしみています。
建築物というのは完成後の利用者の安全は当然ですが、施工中の従事者や第三者(現場付近の通行人など)の安全確保も必須、大前提にあります。
 展示物だから、デザインスタディだから、(結果として)安全までは配慮が行き届きませんでした、ということでは建築の最も大事な「安全」をおろそかにしていると思われても仕方がないのではと思った次第。今回の展示はガラスケースの中に飾るものではなく展示物の内部に人を招き入れるのですのでなおの事だと思います。
 冒頭の現場所長の嘆きを思い出したのは、当時「最近の若い者」と嘆かれた人たちが40代を迎え、若手指導に当たったり、場合によっては学校で教鞭をとっている可能性があるかもしれないと思ったからです。

 白熱灯が熱を持つことを知らないなんて、という声がネット上で溢れていました。
まあ、そんなものだろうなと思っています。メーカーがどんなに詳細に取扱説明書や保証書に書き込もうが、なかなかそれが実らないのが実態です。
若い人が知恵、知識を生活の中で身につける機会が減っているのかもしれません。点灯している白熱球を触ればわかることですが「安全設計」された製品は、ユーザーが電球に触れないように作られているかもしれませんしね。
子供の頃からの消費者教育という話も浮かんだのですが、今回はそこまで膨らませることはしません。

 すっかり報道されることがなくなりましたが、いろいろな確度から考えるべき事故だと思いました。

 雑感でした。

 

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2016年11月08日 05:57

 また売られるわけではありません。まあ、少し前に話題になったTBOに関して思ったことの断片。

 上場企業に入社したばかりの頃は、自社の株価が上がっていくことはマーケットが評価してくれたのだろうと単純に思っていました。幸せなものです。
 20年後、勤務先の株式譲渡が決定したとき、売却予定価額の高さに唖然とさせられました。その何年か前に吸収合併された上場同業者の価額をはるかに上回っており、何がどうしてこんな価額になったのだろう、その価額で買おうという買主は何を考えているのだろうかと。

 事業会社による買収は対象会社や事業をいずれ一体化するのですが、(長期ホールドが目的でない)投資ファンドによるものは概ね5年以内に「出口」がやってきます。取得時の株価が出口戦略の足かせになる可能性もはらんでいるわけで。
 投資家からすれば高い目標を掲げ対象会社の経営に携わり短期間で企業価値を高めてもらえればそれに越したことはありません。対象会社も短期間で急成長できれば良いのですが、さて。

 IPO準備の際に主幹事証券の公開業務担当者からいわれたのは
「あまりに冒険的な事業計画だけでは投資家は評価しませんよ。年次計画を確実に達成し徐々に右肩あがりの事業計画を策定することです。」
 出口に向かって下駄をはかせた事業計画は、見る人間が見ればすぐに「実態と乖離」とばれてしまいます。

 対象会社側も、自分が所属する事業領域の成長性や自社の立ち位置、実力値はわかっているものです。
根拠に乏しい買値を付けられると、その大株主に対する信用というか信頼というものは生まれない、何を仕掛けてくるのだろうと警戒心を抱くだけになります。

 売れればよいのか、高ければよいのか。
「そうとは限らない」ときっぱり回答できればよいのですがね。


  

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