取り上げる作家が古くてなんですが。
 また、書評するほどの熱心な読者でもないので畏れ多いのですが。

 自分と山本周五郎の初めての接点は、小学校卒業の時。卒業式の日に、クラスの担任教師が全員に新潮文庫の「さぶ」を記念にと贈ってくれたのでした。自分が小学校の時代というのは1クラス44、5人いました。文庫本だとしても公立学校の若い教師にとっては小さくない出費だったはずです。せっかく贈っていただいたのですが、その「さぶ」を読んだのは、だいぶあとになってからのことです。おそらく担任教師も小学校卒業直後に読んでもらおうとは思っていなかったでしょう。

 前置きが長くなりましたが、今回取り上げるのは、新潮文庫刊の短編集「花杖記」所収の「武道無門」から。
 時代は江戸前期、場所は岡崎藩、主人公は藩で知らぬ者がいないほどの臆病者の小身の若い武士。
臆病という武士として致命的な性格。その主人公がとある事件をきっかけに藩主の目にとまり、藩主の側である任務を果たすことで評価され加増を受けます。この主人公、臆病さを理由にこれを断り、武士の身分をも捨てようとします。しかし妻女からの「菜切り包丁」の役割を果たせば良いという言葉に自分を取り戻すという話です。(菜切り包丁の下りはネタバレになってしまいますので控えます)
 藩主の側で果たした任務というのは危急の場合の撤退策ですが、藩主はこれを臆病者だからこそ講じた策だと、これがいっぱしの武芸者だったらそんな準備すらしなかっただろうとしてこの若い臆病な武士を評価するのです。
 今読むと多少ご都合主義的な側面もあるのですが、この作品が執筆された昭和17年(1942年)の世相を考えると、「臆病者」や「撤退」に陽を当てるというのは度胸がいる仕事であります。それをやってのける、というところが作家の持つ空恐ろしさではないかと思うのです。


 
 さて、なんでもかんでも仕事に結びつけるのはどうかと思うのですが。

 仕事は「攻」と「守」と簡単に二極に分けられるものではありませんが、それでも明らかに前向きで、エネルギッシュで利益拡大に直結する仕事と、後方支援と管理、ともすればときに防戦一方となる仕事とがあります。また、長い間仕事をしていれば自分の資質がどちらに向いているか、「攻」と「守」どちらのポジションにいたほうが能力を発揮しやすいか自ずとわかってくるもの。
ただどうしても「攻」の仕事のほうが評価を得られやすいという面は否めませんので、「守」のポジションにいる人間は、それが自分に向いた仕事だとわかっていても、葛藤を抱えることが多少なりともあるのではないでしょうか。その葛藤が業務に影響を及ぼしてきてしまうと、それはそれで問題が生じます。

 そんなわけで、上に立つ人(経営者に限りません、マネジメント層です)たまには「守」の側にも陽を当てないと。組織というのは放っておいても勝手にひなたにでてくる人ばかりではありませんからね。
 
 おっと、仕事の話はやっぱりつまらなくなりますね。
 それでは。