滅多にないことだけれども仕事が煮詰まったときに決まってみる夢があります。
それは、20代、30代の頃の営業担当者に戻り、建築現場でのトラブルに追われているもの。
まもなく竣工なのに、まだ注文された設備の納品が終わっていないとか、製作図の承認をもらえず納品どころか工場で製作もしていないなどの痺れるシチュエーション。はっ!と目覚めて、「ああ、俺は今営業じゃないんだ」とほっと息をつくのです。 

 絲山秋子、という作家は自分とほぼ同年代で、20代の頃は同業者でした。(面識はありません、いうまでもなく)会社と場所は違うものの同時期に建築現場やら建築業者、建材問屋などを駆けずり回っていたはず。それが30年近く経ってかたや芥川賞を受賞した文芸作家、かたやにわか企業法務担当者と、本当に人の一生とはいつ、どこで何が違ってくるのだろうと思います。

 自分がこの作家の書く作品に出会ったのは、二玄社が発刊していた自動車雑誌「NAVI」。表題にある「スモールトーク」という作品集は、今から10年ぐらい前に「NAVI」に連載されていた短編。男女の恋愛(なのかな)の機微にアストンマーチン、ジャガー、サーブ、アルファロメオといったクルマを絡めての内容でした。それ以外の作品を知らなかったものですから「沖で待つ」で芥川賞受賞というニュースをきいたときは驚きました。でもある意味マニアックな雑誌の連載で知っていた作家が脚光を浴びるというのは、なんか嬉しかったですね。

 さて「沖で待つ」は絲山氏がその会社勤務時代の経験・実話だろうというエピソードがちりばめられています。確か芥川賞選者のコメントに「社会人経験ならではの云々」とあった記憶がありますが、社会人といっても建設業界隈にいる人間にしかわからんよというものばかりで、文藝春秋に掲載された本作品を読んだときには「なんだ、あそこ(絲山氏の勤務先)も同じじゃないか」と苦笑いするばかりでした。
作中、主人公に向かって先輩社員がいう「納まらない現場はないんだよ」という台詞は、当時自分も職場でききましたからね。

 「スモールトーク」は角川文庫で文庫化されるにあたって追録されたエッセイが秀逸で、「カローラバン・スーパースペシャル」とその続編は笑いなしでは読めません。同業者すべての営業担当者の共感を得ると思います。
自分も販売子会社に出向したときに前任者が乗っていた某セダンを引き継いだのですが、ほんとうに「走らない」「曲がらない」「停まらない」状態になっていました。どうやったらクルマがこんなになるだろうか、と首をひねりつつ、早めのブレーキングを心がけるしかありませんでした。部下が販売先に運ぶカタログやら図面やら荷物が多いようときに「俺の使っていいよ」というと瞬時に「けっこうです。」と断られましたっけ。

 この2作品を読むたび、若い頃を思いだし懐かしくなるのですが、しかしもう戻れないなあというか正直戻りたくないなあとも思うのです。冒頭のとおり、当時のことが悪夢となるのですからね(笑)

 前回エントリに続き、クルマネタになってしまいました。ま、休日だし。