自分のツイッターのTLで話題になっていた「ニュータウンは黄昏れて」と「狭小住宅」を読了しました。 不動産・建築・住宅界隈で仕事をしている身としては読まずにはいられないというところ。連休中になにもと思われるかもしれませんが、家族が入院していると外出もままならないので、本を読むくらいしかできないもので。
まず前者「ニュータウンは黄昏れて」から。

 舞台となっているニュータウンについてはおおよその沿線の駅名や団地の風景、ニュータウンが建設現場だった頃の風景などが次々と思い浮かびます。バブル末期に実際に納品と工事を請け負った団地がありましたし、10年ほど前多摩地区の営業支社にいた頃はその時点で築30年前後を迎えた「ニュータウン」の住戸リフォームなどを追いかけていたもので。

 住宅取得がバブル以前か以後かで何が違うかといえば、本作の主人公らが直面している「ローン残額」や売却しようとした場合に立ちふさがる「含み損」集合住宅の場合は「修繕」。特に集合住宅の場合はようやくローン完済の先がみえた「我が家」、修繕積立金もちゃんと納めてきたにもかかわらず、いざその時がくると住民間で意見がまとまらず、修繕ひとつ自分の希望のとおりには進まないという「割の合わなさ」があります。
 この小説のよいところは、目を背けたいけれど背けられない現実を深刻にならないレベルで描いていることだと思います。いや、現実の当事者の方には申し訳ないのですが。

 ところで「待てよ」と読みながら思ったのはバブル期の団地のことばかりではありません。
2000年代前半、リーマンショック前まで住宅・不動産業界はプチバブルのような時期がありました。住宅事業者が当時30代を迎えたばかりの団塊ジュニア層を「住宅一次取得層」として狙い撃ちした時期です。家賃支払額と同額で戸建が買えると盛り上がっていました。郊外の地主(農家)が相続などで手放す「幼稚園や小学校、スーパーには近いけれど、最寄駅からは徒歩25分」といった土地に次々と戸建住宅が建ち並びました。購入者は上の子が幼稚園直前、下の子が乳児といった世帯です。

 それから10年、まだ入居者は40代というところでしょうか。しかし、時が経てば本小説で描かれたようなことが、戸建住宅街でも起こりうるかもしれません。1980年代に開発された郊外の住宅街で、住人が一斉に定年を迎え通勤しなくなったため、住宅街と私鉄の駅を結ぶバス路線が縮小されたという事例を小耳に挟んだことがあります。その宅地を開発した不動産会社とバス会社が同じグループ会社であってもです。そうなったら、戸建住宅街とはいえ本作で描かれた「黄昏れた団地」と同じです。売り払おうにも思うような値がつかない。築30年の住宅など「土地」だけの値段です。交通網がない土地に値がつくか。なんだか寒気がしてきます。

 住宅ストックの活用と住宅行政は旗をぶんぶん振っていますし、格好のいいリノベーションの事例も雑誌等で取り上げられてはいますが、ことはそう容易ではないとも思うのでした。