時間という、鳴りの狂った時計をば欺いてやる目的で
   二十種も詩風を変えて歌ってきた
このやり方で避けてきた、称賛も、
  さては高貴な酷評も
   出典:コクトー『平調曲』堀口大學訳

 デビッド・ボウイの訃報に接した時、『平調曲』の冒頭の一節(この一節だけ妙に頭にこびりついているだけで、全篇を諳んじることができるわけではない)が頭に浮かびました。ボウイも時代とともに作風、サウンド、ファッションを次々と変えていました。過去の自分のスタイルや実績にこだわらない点では、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスの姿と重ねてしまいます。
 個人的にはブライアン・イーノと組んだ「ロウ」あたりが好きなのですが、それも彼の音楽人生の1ページに過ぎず、軽々に評価を決められない人であります。
 今後様々な評論が出回ることを思いますが、何を語っても群盲象をなでるということになりそうです。

 日経の1月13日付朝刊の春秋欄でもボウイを取り上げ、最後に企業経営者に対して無茶ぶりなコメントを付しているのがなんとも。過去の実績にとらわれ、時代の変化に遅れをとるなということですが、ボウイは時代を作っていった方ですからね。ちょっと違うかも、と思ったわけです。ただ過去しか語る、すがるものがない人生というのは虚しいものであるのは確かですね。

 凡人の自分はいつまで走り続けられるか、と自問しています。