ビジ法、拾い読みです。

 特集は「脱過剰コンプライアンスのすすめ」
 BLJでも増田英次弁護士が「エモーショナル・コンプライアンスの理論と実践」を連載されていますし、「コンプライアンスの見直し」の機運というかムードがあるのでしょうか。CSRだ、コンプライアンスだの旗を振っても、依然企業の不祥事は後を絶ちませんし、特にコンプラ含む企業ガバナンンスのお手本のように思われていた大企業が会計不祥事の張本人になってしまいました。ここ20年近く取り組んできた「コンプライアンス」って何だったの?という疑問が企業法務担当者側から生じても仕方ないのかなと思います。

 そんなことを思いながら特集記事を読んだのですが、そもそも何をもって「過剰コンプライアンス」なのか、というところが腑に落ちず。特集タイトルは「脱過剰」というよりも「脱形式的」とした方が相応しいのではないかと思いました。キャッチーな見出しにはならないのかもしれませんけれど。

 企業によって「コンプライアンス」の生い立ちは異なります。勤務先は、かつて所属した企業グループの総会屋問題が源流にあるので、どうしても「企業倫理」というか「べからず」系コンプライアンスの性格を帯びてしまいます。総会屋問題に限らず、不祥事・重大事故という事件を経験した企業(のコンプラ担当者)は「再発防止」を念頭に置かざるをえません。どうしてもギチギチの仕組み作りを進めます。行政やメディア対応などに忙殺された(原因は自社にあるにしても)「あんな思いは二度としたくない、させたくない」というのがそのココロです。
 一方、比較的業歴の若く伸び盛りで、幸いなことに不祥事などが発生したことがない企業(のコンプラ担当者)は、伸び伸びとした、自由闊達な社内の空気を大事にしたい、コンプライアンスだって楽しくやりたいと思うでしょう。

 どちらが正しいとか間違っているということではありません。

 不祥事・重大事故を経験したといってもいつまでもその企業に当事者が残っているわけではありません。当事者や当時のコンプラ担当者が定年退職等でその企業を去った後に、仕組みやルールを設けたことの理由や意味を理解しないまま、盲目的にそれらを遵守するところから「形式化」が始まるのだろうと思います。
 また、今現在若い企業も、業歴を重ね「企業の青年期」を知らない従業員の割合が増えていきます。その時に、和気あいあいとした空気を前提としたコンプライアンスの仕組みで充分かということを検証しなければ、こちらもまた「形式化」の道をたどるのではないかと思うのです。

 「形式化」や「陳腐化」を避けるかということ、ひいては「発端や経験の伝承」がベテランと中堅以下若手法務担当者の共通の課題であって、 「過剰」というのはその課題が生んでいる現象じゃないかと思った次第です。
 
 空きっ腹でビール飲みながらのくだまき。