いつも以上に法務とは関係ないエントリです。(だってBLJが届いていないんだもの)

 思うところあって「武田氏滅亡」(平山優著 角川選書)を読みました。 
 武田勝頼というと、名門武田家の家督を継いだもののわずか10年余りで滅亡させてしまった「残念な」当主というイメージが強いですよね。NHK大河ドラマをはじめ歴史ものは織田・豊臣・徳川側の視点のものが多いせいか、信玄亡き後の武田家の描かれ方は長篠の戦いで大敗するシーンと、天目山でわずかな手勢とともに自刃するシーンぐらい。昨年の「真田丸」でようやく最後の姿が(フィクションとはいえ)きちんと描かれていました。(少なくとも自分の記憶では)その「真田丸」の時代考証をされていたのが、平山優氏です。
 信玄の死から武田氏滅亡までの10年弱を可能な限りの文献からこれでもかというくらいに丹念に追いかけています。 執念といったほうが良いかもしれません。その結果見えてくるのは、武田勝頼はただ家を潰したバカぼんではなくて、凄まじい速さで情勢が変わる関東甲信越、駿河地域で必死にサバイバルしようとしていた姿です。ある局面ごとに勝頼がとった選択が結果として武田家の世評を貶め、家臣や領民の離反につながったといえます。しかし家督継承直後の長篠の戦いで主要な人材・兵力を失ったなかで打てる手は限られていたはずで、北条、上杉、織田、徳川といった勢力と対峙するのは至難の状況だったのではないでしょうか。考えられる手は打ったものの、タイミングのわずかなズレで、状況を好転させることができなかったのでしょう。「運がなかった」ということでしょうか。武田氏の滅亡から3ヶ月も経たないうちに本能寺の変が起きていることを考えるとなんともいえませんね。

 現代のビジネス環境に置き換えてみるとどうなるか。
 本来子会社の社長でちょうど良かったのが、図らずもグループトップに就任せざるを得なかった。本社に腹心の部下がいないので子会社から部下を引き連れていったものの、本社生え抜きとついに折り合えなかった。先代の社長が業績を伸ばしてきた環境とは一変し、その結果資本を失い、人材も失った。やむを得ない状況だったとはいえ、先代から築いてきた企業提携関係を終わらせたことで相手先だけでなく業界からの評価も悪化した。重要だが不振にあえぐ事業のテコ入れが財務・人員の都合から十分できず、当該部門の社員を見捨てることになった…経営者として必死に取り組んできたはずなのに。
 何か心が痛くなってきますね。


「運が尽きさせ給ひて」というのは「三河物語」の中で織田信長が勝頼の首級をあらためた時に口にした言葉として記録されているそうです。このことは信長が武田氏の終焉に同情したのだと著者は書いています。真実はわかりませんが、名門があっけなく滅ぶ姿を目の当たりにして信長も感じるものがあったのかもしれませんね。

 名門が滅んでいく過程というのは、もっと研究されていいと思いますよ。