2020年04月05日 18:18

ラストライン 2020

 何かと不安定でエントリーもままならず。遅ればせながらの定点エントリー。

 先月末で会社員となって33年が経過した。とりあえずの残り年数が片手で数えられるようになってしまった。新入社員時代のことどころか、20代から30代初めの頃の記憶も断片的で粉々である。中高年以降の人間が過去を美化しがちなのは、記憶に残った断片を都合よく継ぎ合わせてしまうからだろう。これは実感としてある。だから普段はあえて昔語りはしないようにしている。

 バブル経済と崩壊、リーマンショックといった時代を通り抜けてきた。とはいえ、前者のときは会社員駆け出しの時期であり、バブルといっても年収が上がったわけではなく、したがって崩壊後も年収面ではたいして影響も受けなかった。ただ当時は営業職にあったので、部門の受注売上の見込みがガタガタになり、ターゲットとする顧客を大きく変えざるを得なかったことを憶えている。そのため休日出勤、深夜残業が当然の毎日であった。よく心身がもったと思う。
 後者は勤務先が企業グループから切り離された時期と重なった。10年以上経過したのでいえるが年収崩壊を経験した。月俸が元に戻るまでの年月はきつかった。

 それでもコロナ禍の現在よりは比較にならないほどマシであったと思う。勤務先のビジネス継続のリスクと自分の生命のリスクの両方とが現実味を帯びているのは33年間勤務しながら初めてのことである。
なんだかんだいって安穏な雇われ人生だったということだ。

 早く元通りの生活にと願うこと自体は当然のことだ。しかしあと何ヶ月続くかわからない現況が収束したのちに「元通り」に戻ることはできるか。いや「元通り」とは何を意味するのだろうか。
 職場や学校に行かなくても業務や学習が回ることを知ってしまった。そのために作ったルールや仕組みをまた元に戻す必要性は低いだろう。一方、客足の途絶えた街や路地の経済を放置したままでよいということはないだろう。これはほんの例え話だ。
 30年以上になる会社勤め、もっていても役に立たない経験にこだわっていても仕方ないだろう。せいぜい同世代との間での思い出話になるかどうかというところだろう。
 だが。
 春先に元の企業の入社同期と話す機会があった。その企業も予定通りであれば企業グループを離れ、別の資本傘下となる。何を思っているかと尋ねれば「もう残り少ないからさ」と自分たちは逃げ切れるかのような話ぶりだった。もう彼らと会う気も話す気も失せてしまった。自分も向こう側にいたらそんな人間になっていたかもしれないとある意味恐ろしくなった。

 「片手で数えられる年数」が、図らずも想定を超えた年月になりそうである。苦悶、葛藤の時間になるかもしれない。つくづく人生は甘くない。
 しかしその人生ですら、コロナ禍を無事乗り切ればという前提だ。

 ようするに、うがい、手洗いの徹底と外飲み自粛の34年目の春なのである。

 


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