企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

企業法務


拾い読み ビジネス法務2018年7月号

 拾い読み、というよりも走り読みの雑記メモに近い、ビジ法7月号。

■「定形約款」企業対応の要点 
 webサイトに製品の販売中および販売終了後の製品の取扱説明書のPDFデータが掲載されるようになったのはいつ頃だったでしょうか、消安法やその制度も関わっていると思いますが、大手電機メーカーあたりから始まり、今では家電品に限らず家庭用の機器を取り扱っているメーカーの多くがwebサイトに取扱説明書のデータが掲載しています。(取扱説明書と「保証内容」や「保証書」が一体となっているケースが多いですね)以前は製品を購入、開梱しない限り取扱説明書や保証書を手に取り読むということはできなかったのですが、今では購入前に内容を読むことができるようになっているわけです。メーカー側の立場でいうと「あらかじめ使い方や保証内容を知ったうえで製品を購入してくださいね」というものです。
 4月末のエントリーでネタにしたのですが、保証書が定型約款に該当するかという問いがあります。
 製品購入前の消費者に対して購入するための判断材料として販促的なものに加え取扱や保証の内容を提供しているのだから、購入した消費者はその内容を承知したもの、とするには少し無理があるか。webサイトでそれらの閲覧ができない消費者と情報量の差が生じるけれどもそれでよいのか。(実際に消費者に販売する流通事業者の担当者にメーカーと同じ質の説明を要求するというのも非現実的ですし)
取扱説明書や保証書は日頃契約には関与しない設計や品証部門の担当者が作成しますので、改正民法施行までの期間を考えると方針なり対応を決断するギリギリの時期なのかと思った次第。

■ 一人法務へのチャレンジ
 チャレンジするつもりもないまま一人法務となりどうしたものかと思っているうちに10年以上が経過。本当にどうしたものでしょう。
 所属企業の置かれた状況によって法務の役割というのは異なりますし、一人であればもろにその影響を受けます。企業が成長ステージであれその逆であれ、一人で業務を遂行すればしたなりの成果は得られます。それはたしかに大きなメリットです。
 ですが今自分がデメリットだなあとしみじみ思うのは経験の共有の難しさという点ですね。
自分が法務職として辿ってきた道のりはイレギュラー続きで、誰かに引き継いでもらうものばかりではないのですが、もし(起きてはほしくないですが)この先何か起きたときに「あのとき、こうやったよな」「そうそうあのパターンに近いね」的な話をする相手がいないというのはきついと思うわけです。自分の場合は退職等でいっとき共に汗をかいた者(法務に限らず他の部門の者も含む)がいなくなってしまったのですが、経験のストックってけっこうものをいうときがあると思うのですよ。
 一人法務体制にある方はよいことも悪いことも他の部門の担当者と共有しておくことが大事だと思いますね。

談合コンプライアンスの行方

 「談合コンプライアンス」は先月号のビジネス法務の第2特集記事。今頃取り上げるのもなんだという気がしないでもないですが、会務に携わっている事業者団体が「競争法コンプライアンス」なる宣言を定めたことや大手ゼネコンが改正独占禁止法遵守プログラムを公表したこともあるので書き留めておこうと思った次第。

 談合というと建設業界隈の問題というイメージを抱いている人もいるかと思いますが、必ずしもそうとはいえません。土木工事に関わる材料メーカーの談合も何年かおきに報道されますし、フィルム、ラップなどの樹脂製品でもカルテル行為を摘発されたことがあります。それでもなお談合行為がなくならないのはなぜでしょう。

 件のビジ法の記事「なぜ談合はなくならないのか」(TMI:樋口陽介弁護士)概ね書かれていることはわかるのですが、自分の経験から引っかかったのが企業内部要因として上命下服を挙げていたところ。
談合に関わっているベテラン担当者が「業界のしきたり」をよく知らない上司を取り込んでいく、というパターンもあったような。公共事業は人の繋がりがものをいう部分があるので、公共事業一筋のような担当者がいます。受注案件があらかじめ計算できる「公共事業」は上司にとっても心強いし、担当者もそれを承知しているので(以下省略)
 独占禁止法といえば、ということで池田毅弁護士が「事例でみる正当な営業活動とカルテルのボーダーライン」はさすが痛いところというか痒いところに手が届いているという感想です。
 大手ゼネコンの独禁法遵守プログラムや宣言が何となく「べからず論」のほうに偏り(偏らざるをえないというのはわかりますが)、もし他社も追随するようなことになると自分などの古い人間は「海の家事件」のあとのCSR・コンプラブームを思い出します。
 「べからず」では結果として談合がなくなっていません。
 どうしたものですかね。 


  

ピンクのネクタイ

 たどり着くところまで行かないと何がどうなるかわからない日大アメフト部の一件。
 話題になったあの記者会見に絞ってのメモ。

 多くの方があちこちで発言しているように、あの記者会見は「危機管理の失敗」「広報の失敗例」として早くも夏以降の法務系・広報系の雑誌の記事として取り扱われるのは間違いないでしょう。そして読者たる我々は思うのです。「こんなヘマはやらかさない。」と。
 しかし書籍で読み、メディアトレーニングを受け、メディア出身者を広報職に据えたとしても、必ずしもうまくことが運ばないのが「事故・不祥事」発生時の広報対応。ここ数年でどれほどの有力企業が記者会見を含む危機対応で失敗したでしょうか。

 事故・不祥事発生時には満足な準備時間など与えられません。トップ、役員、顧客、取引先、株主、業界団体、所管官庁の都合・思惑が入り乱れ追い立てられるものです。それに加え今回は「渦中にある人物」による自前の記者会見(ほぼ告発でしょう)がありました。
 不正の実務と責任を負わされた担当者が「もうこの会社は辞める」「二度とこの仕事はしない」と腹を括り、企業に先んじて顔出しで記者会見したのと同じです。告発者が幸福な未来を手に入れているかという現実を考えるとどうかと思うのですが、事故不祥事発生の際の内部調査やその後の措置次第では自らリスクを増やしてしまうという前例になったと思います。

 あの記者会見についてとやかくいうのは簡単。しかし、法務や広報担当者はそこにとどまってはまずいでしょう。

 過日、まったく偶然ですが本件の利害関係者にあたる人と酒席で一緒になりました。
 謝罪会見にピンクのネクタイをなぜ締めたか、と尋ねるとあれは「スクールカラー」との答え。ああ、そういえばといわれて思い出したのですが、公式の場に出るということであの色のネクタイを締めたのでしょうが「今回はその色は避けましょう」という人間すら周囲にいなかったということなのでしょう。
「わかっていること」「知っていること」と「実行すること」の違いと難しさがわかりますね。


  

されどNDA ふたたび

 普段片田舎にいるもので、NDAバトルとか最近の企業法務の動きに全然ついていけてません。
 ますます備忘録というかボヤキ帳のようになっていますなあ。

 NDAについては以前も書いたのですが、件のイベントの様子をハッシュタグなどで追いながら思うことを。
 ペラっと「これ問題ないと思うんでハンコください。」と渡されるNDAドラフト。よほどのことがない限り、ガツガツと加筆修正を入れることは確かにありません。スピード感をもってビジネスを推し進めなければならない業界・企業の法務担当者と成熟産業の中位あたりで浮き沈みしている自分とでは抱えている課題が当然違います。手間がかからない、重要性も低いが、急かされる頻度(緊急性とはいわない)と物量を考えれば「雛形」で済ませたいという気持ちもわからなくはありません。

「問題ないすよね?」
「確かに条文は問題ないよ。でもさ、相手とこのNDAを交わそうと決めたときのメモとか議事録を作ってお互い交わしてあるの?」
「え、作ってないと思うす。ないとまずいすかね。」

 NDAフォーマットを統一できたとしても、その一歩手前の「一緒にビジネスできるか、検討してみない?」は、当事者がこれからやろうとしている「ビジネス」の数だけあります。NDAに費やす時間を減らす一方で「これからやろうぜ」の段階に法務担当者が関わる時間が増えないとね、と思います。それにはどうすればいいのか、というのは法務担当者各自が一生懸命考えるしかないですよね。
こちらにはフォーマットはないんだよね。


320 & 319

 決算月の関係で定時株主総会を終わらせました。といっても、一人株主・完全子会社であります。
 親会社の立場にとっては完全子会社の株主総会にいちいち全部関わっていられないし、完全子会社の立場からいえば日々ガラス張な環境に置かれているし、日程調整困難を理由に委任状を寄越されるだけ。ということで、会社法第320条と同第319条1項の出番となるわけです。お互い手間を省こうということで、心の底から便利でありがたい条項だと思っています。

 が、しかしなあという思いもどこかにあります。

 以前の企業グループに属していたときは完全子会社とはいえど委任状を総務か経理部門の若手社員に持たせて株主席に座らせ、ときの社長(議長)が事業報告書を読み上げ、決議事項の議案を読み上げ承認を前述の平社員に諮り、彼も「意義なし」という…定時株主総会を開催していました。茶番というなかれ、親会社から派遣された取締役(親会社の役付取締役)や監査役はちゃんと出席していましたから、相応の意義はあったと思います。事務方(つまり自分)も事業報告書の要約(読み上げ原稿)を作成するほか当日の段取りなど社長に説明していましたし、親会社からの派遣役員への挨拶などなど、まあそこそこの緊張感はあったわけです。「体裁だけ整えた儀式」といわれてしまえばそれまでですが。

 取締役会や株主総会の事務方を務めて10年余、取締役でもないのに「その場」にいる年数は取締役の誰よりも長くなってしまいました。現在のボードメンバーはかつての「儀式」としての株主総会ですら知りません。株主総会議長が事業報告を行うということも夢にも思っていないかもしれません。

 それでいいのかな?

 グループ会社の成り立ちや子会社・子会社取締役の位置付けにもよるのかもしれません。上場親会社の取締役になるにはいったん子会社社長なり取締役を経験してからというルールがある場合に、子会社の株主総会がいつも決議省略だったら株主総会の機会に株主に事業報告や将来計画を説明するということも、株主からきつい質問が飛ぶことも知らないままということになりはしないか。そんなことを思います。
 総会の事務方を務める総務や法務担当者も同様ですよね。実際、自分もコーポレートガバナンス・コード周りの諸々に対する感度は鈍りっぱなしです。

 使われない能力は廃れていく一方だし使わない(あるいは必要とされない)能力は身につかない。

 総会が終わったというのに、少し苦い気持ちを抱いています。
 


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