書籍など

2021年05月01日 16:24

 勤務体系上、なぜか三連休以上がないので今日もまたいつもの週末。

 いまさら感があるのだが、ようやく「ルールメイキングの戦略と実務」に目が通せたので記録しておく。
 まずどういう立場・視点で本書を読んだかということから。
 「本書第2章第2節2.その他のアクター」に(2)事業者団体の記述がある。自分が製造事業者団体の会務にフルタイム従事ではないにしろ関わって20年近くになる。年月だけでいえば法務や監査の職歴よりも長い。というわけで、法務の視点ではなく事業者団体の片隅にいる者の視点で読んだ。

 設立から数10年という団体で、本書でいうところの「消極的なルールメイキング」であったとしても多少なりとも関わっていたので、ルールメイキングやロビー活動がリーガル界隈で話題になったときには殊更取り上げ喧伝するものでもないと思っていた。自分の中では長年「業務の一部」だったからだ。
 しかしここに来て、自分のなかで事業者団体の役割やその意義について後の世代に承継していくときに事業者団体内部の「口伝」や団体に属する各企業にお任せで十分だろうかという疑問というか懸念を抱く瞬間がある。
 そもそも業界トップに位置する企業は、自社で渉外部門を持ち業界団体活動に頼らずとも所管や関係機関と交渉し「ルールメイキング」していく力がある。しかしプレイヤーが多い業界では業界トップ企業といえども圧倒的なシェアを持つわけではない。新しい技術基準や制度の普及のためには、業界全体での取り組みとする必要があるし、所管もそれを望む。
 一方で自力で渉外担当者を張る余力のない業界中位から下位の企業は事業者団体活動を通じて所管や行政機関との接点を持ち、タイミングによっては「ルールメイキング」に関与するというのが実情である。
かくて業界トップ企業を中核に置きながら、プレイヤー全体の利益にかなう事業者団体活動というものが成り立つ。
 だが昨今の事業環境の変化のスピードと厳しさからこのような図式がいつまで続けられるのだろうかと思う。業界トップの大企業といえども、いや、だからこそ事業再編の必要性が高まり、ある事業を売却しあるいは完全撤退することも現実に起こりうる話である。事業者団体の中核企業が突然不在になることも
あるかもしれない。
 そのときトップ企業にロビーを任せきりだった業界中位以下の企業はどうすればよいのだろうか。

 少し長くなったが、このような視点なり懸念を持ちながら本書を読むと序章から第3章にかけての内容は、業界団体活動に関与する、しないとにかかわらず企業(特に渉外専任者を置けない企業)の事業担当者にとって参考書のひとつになると思う。本書のルールメイキング事例が新興事業に依っているのは致し方ないところであるが、その部分は自社や所属している事業者団体があればその団体の活動記録を紐解けば、ひとつや二つの事例があるはずである。それらに当てはめて検証してもよいだろう。
 事業者団体活動に関わっている担当者は第6章「ソフトローとルール形成主体としての企業」と終章「ルールメイキングの未来」も一読してもよいだろう。色々と考えるところのある章だが、ここでこれ以上書くとリアルの世界で差し障りがあるかもしれないのでここまでにする。

 本書は商事法務という出版社、執筆陣が弁護士という点で書店の「法律」コーナーに置かれてしまうのだが、「ビジネス」や「事業(経営)企画」というコーナーに置かれた方が企業の事業部門とリーガルの世界が縮まるかもしれないとも思う。






  

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2021年03月21日 17:53

 会計や監査系の情報インプットを優先しているため、法律系書籍を読むスピードはいつもにまして鈍化している。にもかかわらず、その他雑多に活字を求めるのはどうしたものか。
 合間に読んだ書籍のなかから2冊ほど記録を上げておく。

「企業の天才!江副浩正8兆円企業リクルートを作った男」(大西康之 東洋経済社)
「働くこと 経営すること そして経営すること」(入村道夫 アトリエ椿納言)

 2冊の共通項は「リクルート社」である。順にメモを残す。
 「企業の天才!」は、故瀧本哲史氏の「江副浩正氏を評価する」趣旨のインタビューをプロローグに、
(多少「江副氏信奉」のきらいは感じなくはないが)、江副氏とリクルート社の成長譚と「リクルート事件」のあらましを描いている。「リクルート事件」という一大疑獄事件の中心にあったにもかかわらず、同社が分解も解体もせず今なお「情報産業」の中心にでんと構えている理由の一端を窺い知ることができる。
 しかし疑獄事件そのものの後処理は並大抵のことではなかったはず。リクルート事件にかかわらず、事件の真っ只中のことは報告や書籍という形で世の中に出回るが、事後の対応に奔走した当事者の話はなかなか表に出ることはない。

 「働くことー」の著者は、その事件当時リクルート社の取締役であり、事件後「リクルートコスモス」の再生に経営者として関わった方である。では本書に当時の状況が描かれているかといえばそういうわけではない。著者が事件対応と再生にかけた年月を経て至った境地からの経営層やそれに近いビジネスマンに対する心優しきメッセージ、といった内容である。人によっては「何を当たり前のことを」とか「ポエムやファンタジーじゃないか」という反応を示すかもしれない。しかし著者の歩んできた道のりを考えると、表現がシンプルで柔らかな分、かえってその裏に「凄み」を感じる。(というのは自分だけだろうか)

 今回はこんなところで。



働くこと 経営すること そして生きること
入村 道夫
アトリエ 椿納言
2021-01-12







   

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2021年03月07日 17:59

 早いもので新人研修の依頼が舞い込む時期となった。毎年コンプライアンスだ、CSRだと入社したての新入社員に話をしている。基礎研修の一端なので一貫性は必要だが、適宜内容は見直す必要がある。どうしたものかと(事務局へのテキストの期限!)思っていたところで、このところ真っ先に目を通している「ビジネス法務 」の連載記事「企業法務史のターニングポイント」を読む。今回、次回と2000年代がテーマ。

 2000年代初頭はまだ法務職にない。2001年、商法改正を機に早速所属部門が会社分割により子会社化されたのだが、保管されている書類からしか当時のことはわからない。「子会社」として管理されることがどういうことなのか、自分がグループガバナンスに直面するのは数年後のことである。ただ、「内部統制」「CSR」そして「コンプライアンス」といったものが、本社ではなく「親会社」から一緒くたになって降りてきた記憶がある。(当時はそのいずれの業務にも関わらなかったが)どこの何が悪かったのか、当時自社組織にアレルギー反応を残しただけだったような記憶がある。 
 商売に通じるわけでもない、誰得で誰が適任かもわからない業務として、全て「なんとか室」に寄せて落着という、実質はそんな企業もあったのではないだろうか。2020年代に差し掛かった今なお、昔と何ら本質が変わらない企業不祥事を目にするとそう思わざるを得ないし、また省みなければならないことの多さに震える。

 2000年代半ばにかけては自分のいる業界周辺では重大製品事故が続発した。ある事案で製品起因の事故か否かを巡って霞ヶ関の所管部門や別の事業者団体と協議を延々重ねたことがある。その渦中で、行政側が消費者保護の方に軸足を移したことを身をもって感じた。ちなみに自分が法務に異動したのはこの頃である。

 製品事故や不祥事をめぐる企業対応において、コンプライアンスの他にレピュテーション管理が加わったのもこの時期ではなかったか。適法か否かだけではなく、メディアや世間にどう受け止めてもらえるか。「危機管理広報」なる言葉が広まり、記者会見や開示資料の原稿作成にあたって、広報・IR部門と法務部門・弁護士がタッグを組んで対処というのが珍しくなくなった。また経営陣に対してメディアトレーニングを実施する企業が増えたのもこの時期だったような記憶がある。

 この時期以前の法務業務がどんなものだったのか、ろくな引継ぎもなかったのでわからない。が、法務業務の領域が広がってきた時期ではないだろうか。
 
 さて、ここまで書いたものの新人研修のテキストをどうするかさっぱり「?」で、どうしよう。
 

 


 

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2021年02月16日 22:43

 既に多くの方がレビューし評価しているけれども、取り上げないわけにはいかない。
 川井信之弁護士の「手にとるようにわかる会社入門」

 本書の感想をひとことと問われるなら、こう答える。
 「学習・業務を問わず、これから初めて会社法にふれる人は幸せである。なぜなら本書があるからである。」

 自分が法務に異動したのは2006年の年末である。ちょうど「新会社法」施行の頃である。異動の内示を受けたときに当時の管理部門の役員にいわれたのは「商法を勉強しなさい」だった。彼のいう商法とは会社法のことだったのだが、引き継ぎもない最少人数法務担当なので何をどうしたらよいものか皆目わからない。それまでの20年近い会社員人生の中でかすりもしなかった法律である。会社には江頭「株式会社法(初版)」がぽつんとおかれているだけ。自分で白門の真法会刊行の「会社法」の条文と第一法規の「新会社法AtoZ」(現「会社法A2Z」の前身)のバックナンバーをひと揃い買ったが、だからすぐにどうなるというものでもない。実務はまったなしなので、取締役会や株主総会、変更登記に関わる箇所の拾い読みから始めたけれども「ここが変わる!新会社法」といわれても、「ここ」がそもそも「どこ?」だったのである。

 企業法務が存在感を示そうとしている昨今ではあるが、それでも独立した法務部門を置けない、法務担当者が採用ができないという企業は一定数ある。「君、2週間後に法務担当に異動ね。株主総会や役員会とかよろしく。」ひと昔前の自分のようにこう急にいい渡されたとしても、本書が刊行された今なら焦ることはないと思う。
 「あのときこの本があれば!」というのが正直な感想なのである。

 本書には条文が一文字も登場しない。それはたとえば「すぐわかる〜」といった書籍にたまにみられる「端折り」とは根本的に違う。「帯のコピー」の通り大事なことは凝縮しているのである。難しいことほどシンプルに説明するのが本当のプロ。自分なんぞがいえる筋合いではないが「プロの仕事」の結晶。
 企業法務初心者(初学者、ではない)は焦って江頭会社法や田中会社法に手をつけるよりも、本書をまず読んで、それから会社法の条文を追いかけることで会社法に馴染めるのではないだろうか。

 これから初めて会社法にふれる人は、本当に幸せだと思う。

手にとるようにわかる会社法入門
川井信之
かんき出版
2021-02-03



 


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2021年02月06日 23:28

 ビジネス法務2021年3月号。連載記事「企業法務史のターニングポイント」。
 今回は1990年代の話。1990年代も初めの方はもう30年前。この期間は自分は20代半ばから30代半ばで建設業界の片隅で営業の仕事の面白さとしんどさを交互に味わっていた時期である。「法務」の「ほ」の字も自分の生活には全く関係なかった。
 しかし思い返してみると、自分のなかで法務業務のバックボーンのようなものが形作られていったのはこの時代だったかもしれないと思う。以下、つらつらと。

1 バブルの後
 90年代はバブル経済がはじけ飛び、延々と続く後処理が始まった時期である。自分は建設業界の端にいたのだが運よく不良債権を掴むことはなかったが、ゼネコンが振り出した手形が落ちるまでヒリヒリしていた先輩社員もいた。ゼネコンがバブル遺産に本当に苦しみ出したのは90年代半ば過ぎ。信用不安が囁かれ、週刊誌などで「危ないゼネコン」が取り上げられ始めた頃である。見積や注文の打診がきても「お断り」をせざるをえなくなった。「お前のところもそうか」と電話の向こうでがっくりとした声を出す調達課長の声を憶えている。
 バブル経済を生んだのも終わらせたのも国の施策。膨らんだ不良債権やバブル倒産の後処理に回った企業法務や債権回収部門の方もおられると思うが、未だに表に出せない話が多いのかもしれない。

2 補助金行政
 「法や制度が生み出すマーケットがある」と少人数のプロジェクト的な営業グループに放り込まれたのが90年半ば過ぎだった。「法や制度を理解して、仕掛けの営業をする」というような方針だったが、主に補助金行政が生むマーケットを追いかける部隊だった。
 この時期、補助金行政で代表的なものは厚生省(当時)の「ゴールドプラン」や農水省の「中山間地域対策」だったと思う。前者は高齢社会に備えての高齢者施設整備、後者は輸入農産物開放の見返りで農村地域の振興。国道並みの「広域農道」整備や、国交省の予算付による一般道交通安全施設「道の駅」に農産物直売所が併設されたのもこの時期だったと思う。
 インターネットが普及していない時代である。情報とりも足を使うしかなかった。霞ヶ関や自治体の図書室、資料室で予算書をはじめとした資料を集め(役所のコピー代が高いことには閉口させられた)、それらをもとにコンサルや設計事務所、ゼネコンに営業に行ったものである。
 この仕事を通じて理解したことは、補助金交付決定や役所予算付がされた時点ではもう勝負がついている、ということ。法や制度がマーケットを作るのではなく、マーケットを作るために法や制度を整えているのとそこには当然民間企業(大手)も噛んでいるということ。そして、業界中位あたりをウロウロしている企業(のノンコア部門)には到底真似ができないという残念な事実であった。
 ロビーやルールメイキングというのはそう新しい話ではない。当時役所に行くと廊下をウロウロと歩き回り名刺を配ったり担当者と話し込んでいる年配のサラリーマンがいたが、こういう人物が「ロビー」の担い手でもあったのである。

3 コンプライアンスの萌芽
 ビジ法連載記事では「メーカーにおける法務機能」がテーマのため執筆者は不正輸出に焦点を合わせていたが、メーカーの総本山企業数社が関わった「総会屋への利益供与」、「海の家」事件があったことにも触れておきたい。この事件をコンプラの根っこに持つ企業のコンプラは「べき」「べからず」であり、倫理・道徳の色を帯びている印象がある。
 勤務先の管理部門はこの時期から法令遵守や違法行為の撲滅の旗を振った。槍玉に挙げられたのは「公共工事の営業部門、担当者」である。「談合をやっている連中」と未開の蛮族のようにいわれた。談合の有無など関係なしに公共工事の請負は撤収していった。「法・制度が生み出すマーケット」も、最終局面では地方自治体発注の請負工事になるケースがある。「その仕事には触れるな」と厳命されれば、時間をかけて仕込んだ仕事であっても捨てざるをえない。受注や売上に影響が出ないわけがない。そのカテゴリーは「不要」といい切る(しかし数字を落としてもよいとはいわない)経営陣に対して、当時は正直「何をいっているのだろうか」と思ったことはある。しかし法務の視点を持った今では、よくあの時代に一気に舵を切ったものだと思う。コンプラの要は経営陣の判断と覚悟次第、ということなのだろう。
 2.で触れた自分が所属した営業部隊が短命に終わったのはいうまでもない。

 歴史というものは多面的・多眼的に捉える必要があると思う。限られた誌面で歴史を語るのは難しいと思うが、ビジネスサイドの視点も交えた内容も読みたいと思う。

ビジネス法務 2021年 03 月号 [雑誌]
中央経済社グループパブリッシング
2021-01-21





 

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