企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

雑感・備忘録


RED HILL MINING TOWN 

 定点観測。取り立てて意味はないけれど、区切りとして。

 入社式の前日、3月31日に関東のローカル線の最寄り駅に降り立ったその日から今日でちょうど30年。
 徐々に記憶が薄れ、その日の天気がどうだったか。研修寮に入り「これでサラリーマンになるのか」というなんとも複雑な気持ちになったことを覚えています。
 同期は80人を超えていたと思います。自分は10年前、部門ごと企業グループから外れる形で入社した企業を離れましたが、他にも組織再編やら何やらがありましたし、大企業の常で出向や転属を受け入れる世代でもありますので、今も元の企業に残っているのは何人いることやら。80数通りの30年目があるということですね。

 2週間ほどの集合研修の内容は申し訳ないほど覚えていません。
その後1ヶ月ほど続いた生産ラインの実習の方が記憶に残っています。樹脂や接着剤の匂い、身にまとわりつくガラス繊維のチクチクした痛み、身体を動かしたことの方が脳に刻まれるということでしょうか。
実習なのにやたらと残業していました。
 エントリタイトルは当時毎日のように聴いていたU2のアルバム「THE JOSHUA TREE」の中の1曲。
廃れていく鉱山の町を歌ったこの曲が肉体労働に明け暮れている生活に妙にしっくりきていたのでした。

 さてこれからどうするかということですが、あれこれ考えにくれているのみで。目の前のことはしっかりこなさなければなりませんが、このまま今の延長で生きていけるとは思っていないので準備は必要だろうと覚悟を決める次第。

 雑感でした。



 





  

通過  どこから、どこへ?

 更新もままならず、大つごもり。
 秋の終わり頃に引いた風邪がぐずぐずと長引き、クリスマス連休前についに発熱、ダウンしてしまいました。 体力が落ちると、当然ながら頭の方の働きも落ちるもの(いや元気な時もそんなに働いていないか)

 発熱中に、法務異動10年を迎え、そして通過しました。
 例年になく白熱した#legalACの初日の@kataxさんの有資格・無資格法務のキャリア論ですが、無資格法務にも何通りかに分かれると思います。ざっくり分けてしまうと法曹を目指したが武運に恵まれず企業勤め・法務部員に身を落ち着けた向きと法曹を目指したわけでも企業法務を志望したわけでもないが異動の結果として法務担当者に就いている向き。自分は後者で、しかも40を過ぎてからの異動でした。キャリアチェンジというものではなく、空いたポストに「そういえば法学部出身だったね」程度の理由での異動。大した引き継ぎもなく、当時は勝手に隠居を決め込んだものです。
 皮肉なことに異動後にトップ交代や大掛かりなリコールや株式譲渡といった応用編の事件(イベント)が続きました。企業法務としての基礎体力のない自分にとっては劇薬を注入されて走らされたようなものです。一方で「劇薬」があったからこその今の姿だとも思うことがあります。あのまま何もなければどんな法務担当者になっていたでしょうか。想像がつきません。

 法務担当者として遅いスタートを切った自分にとってIPOは年齢的にもキャリアを築く最後のチャンスとどこかで決めつけていました。それが潰えてはや4年。
 バックオフィスの仕事に徹しつまらないだの面白いだのいわず、前線を支えているつもりではあります。しかしどこか次の劇薬を求めている自分がいるようで、年齢と体力を考えろといいきかせ、そもそも何のキャリアもないだろうと空を仰ぐ…
 
 通過点とは目指すゴールが定まっていてこそのもの。
 では自分にとってのゴールとは?
 
 舵も舵を操る綱を失った酔いどれ船、などとうそぶいている場合ではないですがねえ。



火災事故についての雑感

 米国大統領選挙関連で、様々なニュースやその続報がすっ飛んだ感じがするので、メモ代わりに。

 某イベントでの展示物の火災で小さな子どもさんの命が失われた事件について。

 「最近の若い(建築学科出身の)社員は、建設現場の仕事につきたがらない。嫌う。設計ばかり志望する。」と大手ゼネコンのとある現場所長の嘆き。現在の話ではなく、20年ほど前の話。

 しがない下請業者の営業マンですら、建設現場の「安全」に対する徹底ぶりは身にしみています。
建築物というのは完成後の利用者の安全は当然ですが、施工中の従事者や第三者(現場付近の通行人など)の安全確保も必須、大前提にあります。
 展示物だから、デザインスタディだから、(結果として)安全までは配慮が行き届きませんでした、ということでは建築の最も大事な「安全」をおろそかにしていると思われても仕方がないのではと思った次第。今回の展示はガラスケースの中に飾るものではなく展示物の内部に人を招き入れるのですのでなおの事だと思います。
 冒頭の現場所長の嘆きを思い出したのは、当時「最近の若い者」と嘆かれた人たちが40代を迎え、若手指導に当たったり、場合によっては学校で教鞭をとっている可能性があるかもしれないと思ったからです。

 白熱灯が熱を持つことを知らないなんて、という声がネット上で溢れていました。
まあ、そんなものだろうなと思っています。メーカーがどんなに詳細に取扱説明書や保証書に書き込もうが、なかなかそれが実らないのが実態です。
若い人が知恵、知識を生活の中で身につける機会が減っているのかもしれません。点灯している白熱球を触ればわかることですが「安全設計」された製品は、ユーザーが電球に触れないように作られているかもしれませんしね。
子供の頃からの消費者教育という話も浮かんだのですが、今回はそこまで膨らませることはしません。

 すっかり報道されることがなくなりましたが、いろいろな確度から考えるべき事故だと思いました。

 雑感でした。

 

リセット リスタート 

 備忘録程度ですが。

 鎮火した頃なので、某母校の箱根駅伝予選敗退ついて。

 「負けに不思議の負けなし」という元プロ野球監督の言葉のとおり、今回の敗退は「なぜだ?」という人よりも「やはり」という感想を抱いた人の方が多いと思います。残念であることには違いないのですが、事情通のOBの話によるとあのレース結果であっても持ち直してきたほうだとか。確かにローカルレースである箱根駅伝以前に公式の駅伝レースに出場できていませんでしたからね。

 弱くなっていく組織というのは突然弱体化するのではなく、じわじわと何年もかけて弱体化していきます。企業も同じで、金融機関から通告されるとか、場合によっては重大事故・不祥事の発生によってそれが露わになるのですが、そこからの再建の道のりが厳しいのは周知のとおりです。10年、20年とかけて失ったものを短期間で取り戻すというのは容易ではありません。
 「聖域なき改革」の御旗(総論)を立てるのは簡単ですが、歴史がある大きな組織というのは「聖域」という分かりやすい領域よりも、社内外に多くのステークホルダーがいて、それらがそれぞれに「守るもの」を主張するものです。守るものを捨てさせるか、そのステークホルダーごと切り離すか、いろいろな
ことでまた時間がかかってしまうというのが現実ではないでしょうか。

 なんでもビジネスに結びつけて考えるのもアレですが、リセット、リスタートの難しさを目の当たりにした出来事だと思った次第です。



 

Everything's Beautiful 25年目の再構築盤

 本日は音楽ネタです。

 モダンジャズの帝王マイルス・デイヴィスが逝去して今月の28日で25年になります。訃報をきいて呆然とした日から四半世紀経つのかと思うとめまいがしますね。

 今年は没後25年と生誕90年にあたる年ということで、5月のマイルスの誕生日に合わせて1枚のアルバムが発表されています。
それがこれ。


 
   1991年のマイルス逝去後、様々なミュージシャンによるトリビュート盤、カバー盤、リミックス盤が発売されましたが、熱心なマイルスファンに受け容れられるもの、そうでないもの、賛否両論でしたが、「マイルスの不在」を思い知らされるという点で共通していました。

 さて今回はどうかといえば、何の情報もなく聴けば「2010年代のR&B、HIPHOP」。
注意深く聴けば、マイルスのナンバーの音の断片が散りばめられているのがわかりますが、これはどの曲のトランペットソロだ、リズムだなどとウンチクを垂れてもまったく意味はないよなあ、まず楽しめばいいという1枚だと思います。「マイルス」の冠が付くと「これはジャズじゃない」「こんなのはマイルスじゃない」と憤激する人が必ずいますし今回も例外ではないのですが、これはマイルスが存命の頃からのことなのでなんというかお約束のような反応ですね(怒られそう)

 実質未完成のまま死の翌年の1992年に発表された最後のアルバム「Doo-Bop」がヒップホップに取り組んだものでしたから、マイルスが1991年に逝去せず「Doo-Bop」を完成させ、そのままヒップホップ路線を突き進んでいたらこうなっていたかも、と妄想しながら聴いています。

 それでは今日はこんなところで。




 
  
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