企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

雑感・備忘録


15歳の頃

 どうも法務ネタがまとまらないので、最近読んだミステリー・サスペンスもののメモ。

 15歳、中学3年生の頃の記憶。思い出すこともわずか。40年近くも経過すれば無理もないのですが、とにかくクラス全体の空気が嫌で、早く高校受験を終わらせて学校とおさらばしたいと思っていたことだけを覚えています。自分の心持ち次第でもしかしたら楽しいことも苦しいことも同級生同士で共有できたかもしれないと、ふとそんな気持ちになったのは沢村鐡「雨の鎮魂歌」(中公文庫)を読んだから。

 沢村鐡というと正体不明のバイオテクノロジーと警察組織の闇を絡めた「クラン」シリーズを読んでいたのですが、今作は20年近く前に発刊された作者のデビュー作の加筆修正版ということで手にとってみました。
 主人公は北日本のある町の中学3年生。同級生であり友人の生徒会長の死の真相をたどっていくというのがストーリーの骨子。中学3年生が同級生の死の真相に迫っていくという点では宮部みゆきの「ソロモンの偽証」と共通していますが、「ソロモン」が東京の住宅地と学校が舞台で、周囲の大人を巻き込みながら中学生による「校内法廷」という「静」の世界に展開したのに対し、こちらは「大人のなりかけになろうとしている」事情(恋愛、進学など)と「町の大人の事情」(暴力、犯罪を含む)とが複雑に絡み、汗やら血の匂いが常に作品内に漂っています。
 主人公たちが肉体的にも精神的にも傷つきながら真相に迫っていく姿に、自分が中学3年生の頃にここまでの熱さや狂おしさがあっただろうかと、大変眩しい思いでページを繰ったのでした。
 
 興味がありましたら是非。

 巻末の作者の謝辞に、加筆修正して改めて世に出した心情がにじんでいます。
 


 

デジタルとおじさん

 IoTだのAIという時代にanalog/digitalという分け方かと思うのですが、育ってきた環境がanalogなので仕方がないのですよ。

 マンサバさんが現行iPad Proの入手を薦めていますが、実は自分も春先に購入していました。あまり使いこなしているとはいえませんが。購入の動機は、老眼が進んでiPhone plusの画面でも文字を追うのがしんどくなったからいうのもありますが、便利そうなので使ってみようというのが大きいですね。手書き認識も良くなっているというので、(最初はいらないやと思ったのですが)Apple pencilを買って使ってみたところ、手書き文化で育ったおじさんには思った以上にしっくりきたのです。
そこで「待てよ、この感覚は昔経験した」と20数年前の90年代中頃に使っていたSHARPのZaurusを思い出したのでした。
 当時の所属部門の課長、それまで手書きで思いを伝えろ!みたいな人間だったのが、突然機械化に目覚め「お前ら夏の賞与でZAURUSを買え!」と強権発動し、家電量販店でまとめ買いするからとゴリゴリ値引きして購入、問答無用で課員全員に現金引き換えで配布されたのでした。連絡先や簡単な通達、活動テーマなど赤外線通信等でやりとりしたような記憶があります。当時としては、進んだ取り組みではなかったでしょうか。Zaurusにはタッチペンでの文字認識という機能があったのですが(Apple社との共同開発だったはず)、なんのことはない、四半世紀近くの年月を経て戻ってきたというところですが、利便性は比較のしようがないほど向上しています。技術の進化はそれを受け容れようとすればちゃんと恩恵をもたらすということでしょうか。

 会社の業務だけでなく日常生活のあちこちに先端情報技術が採用されている時代。ビフォーインターネット世代だからわからない、使えません、では日常生活にも支障をきたすだろうと思います。生死に関わるような支障は今のところないでしょうけれども、時間や手数料など必要のなかったコストをむざむざ負担してしまうということは既に起こっていますよね。
 業務ではもう関わることはないかもしれないけれども、この先何十年も生活していく、おじさん世代こそ生活防衛のために最新の情報技術はおさえておく必要があると思います。

 まあそんなわけでデジタルとちゃんと向き合おうと思う晩夏の午後でした。

語って語り捨て、聞いて聞き捨て 

 わざわざいうまでもない灼熱の日々。
 難しいことを考えるのも億劫ですわ。というわけで今回は埋め草エントリ。

 宮部みゆき、といえば本格ミステリーからSF、ファンタジー、時代物と手がける作品の幅の広さでは当代一の作家の一人だと思います。それぞれにシリーズ、連作ものがいくつかあるのですが、今回は時代物の「三島屋変調百物語」 について。全国紙で連載されたこともあるので読まれた方もいるかと思います。
 自分の迂闊な言動が許嫁と幼馴染の死を招いてしまったことで悔い心を閉ざしたヒロイン「おちか」が、預けられた江戸の商家三島屋で様々な語り手による「怪談」の聞き手をつとめることで閉ざした心を開いていくというシリーズ。第1巻の「あやかし」から最新巻の「あやかし草紙」まで物語の中で経過した時間は3年ほどですが、発刊ペースでは10年かかっています。「怪談」の数は26話。まだまだ百物語までは遠い道のりと思っていたところ「あやかし草紙」で「シリーズ第1期」完結という予想外の展開となりました。伏線は第4巻所収のエピソードに張られていたのですが回収はもう少し先だろうと思っていたのでやや驚きでありました。
 宮部みゆきの作品の共通項は人の情念というものを丁寧に描くという点と「事件」を通じての主人公の成長という点だと思っているのですが、この「三島屋」シリーズにもそれがよく表れていると思います。
 語って語り捨て、聞いて聞き捨てとは、主人公が語り手の話を聴く際のルール。だからこそ語り手は胸の内に閉じ込めていた話を吐き出していきます。つかえた思いを吐き出した後の語り手の姿は様々ですが思い残すことはないと命を絶つ、あるいは命が尽きるというエピソードもあります。この辺りが宮部流の「甘くない」ところ。語り手の死という事実をも主人公に引き受けさせ成長させていく、というところでしょうか。

 担当業務のなかに相対して相手の胸の内を吐き出させなければならないというものがありますが、業務である以上語り捨て聞き捨てというわけにはいきません。このような業務を重ねていくと自分のなかに澱のように溜まっていくものがあります。語って語り捨て、聞いて聞き捨ての場が欲しくなる時期が自分にも来るのでしょうかね。
 




2日目のコンプライアンス教育 2018年版

 新入社員研修の季節がやってきました。今年も研修2日目にコマを割り当てられいって参りました、研修会場のある某関東の工場。今年は技術系の新入社員の比率が高かったのでどうしたものかと思ったのですが、結局従前のものとそれほど変えずに、時折挿入する小ネタに昨今の製造業の不祥事を取り上げる程度にしました。まだ実務に就いていないのですから文系、理系を意識する必要もないかと。

 研修や勉強会の講師を担当させられる法務担当者の方もいらっしゃると思います。人前で話すのはどうも苦手で、という方もいるでしょう。頼まれもしないのに教えたがるのは老化の兆しらしいですが、もはや初老の域なので気にせず少し研修講師について。

 多少、純粋に法務一筋の担当者と自分が違う経験をしてきたとすれば
  • 営業担当者教育の事務局として、1年半ぐらい週末は研修に帯同、当時研修を委託していたコンサルタントの人気講師の講義をずっと聴講していたこと
  • 上記と同時期、当時の所属企業の社内講師の資格を取って年に2回程度1泊2日コースの研修講師を担当していたこと
がありますが、何回講師をやっても「慣れる」「緊張しない」などということはありません。

 講義時間の枠は決まっていますので、時間厳守が大原則。途中までの展開がよくても時間切れで内容が尻切れトンボでは意味がありません。時間配分、話すテンポ・抑揚、挿入する小ネタの範囲など、いろいろ工夫が必要な箇所があります。社内講師の資格を取るときも、時間配分については厳しくチェックされました。
 講師・受講者の共通の敵は「眠気」。眠らせないための構成や手法(グループ討議の時間を設ける、適宜質問を当てるなど)ということも必要です。最近では新入社員研修のときは先にペーパーを配布することはやめています。特に講義が午後の時間帯の場合は、下を向かせるとまず睡魔に襲われていますからね。
 翌日は8割は忘れるという人間の記憶、間違いなく持って帰ってもらいたい2割をどのように伝えるか。
これらの工夫を支えるのはやはり「準備」なんですよね。
 講義用のノート作成に加えて、時計を睨みながらのロールプレイング。そこまではできないにしても、スライドやワードの原稿を見ながら夜中にぶつぶつ呟きながら加除修正の繰り返し。
それでも「セリフ」がとぶことがありますからね。「慣れ」はないのです。

 さて、新入社員に力を入れて伝えたのは、不祥事は誰もが起こすし巻き込まれるということ。
ニュースになった企業不祥事を起こした人はどういう人だと思いますか?と尋ねるとなかなかイメージできない様子をみせます。その人も最初はみなさんと同じ新入社員だったのですよというと多少表情が変わってきます。その先をどう繋げるかなのですが、そこはケースバイケース。

 講義から4日経過したけれどちゃんと憶えていてくれるかなあ。

 


定点観測 この先

 (一般的には)年度末の週末。まるまる企業で30年働いたことになります。

 転職はしなかったものの勤務先は幾度か姿を変え、自分も幾度か職種が変わりました。
勤務先は職種をまたぐ人事異動が少ないので、このような経歴を持つ自分は損得半々というところかなと思っています。損は形をもって現れていますが、得は無形で自分が「得」と勝手に思い込んでいるだけかもしれませんが。

 30年も組織にいればいろいろあります。
 法務異動前に自分が所属したり関わった業務のほとんどは姿を残していません。徒花のような仕事、ときの上司が考えた試験・実験的な試みの業務だったからなのかもしれません。結果として後が続かなかった事業というのは関係者がいなくなれば忘れ去られるだけで、「あれは結局ダメだったよな」という評価すら得られませんね。
 法務異動後のことはブログの中で時折取り上げてきましたが、今の時の流れからすればふた昔近く前のこと。登記簿謄本に残る下線部の大半は自分の業務なのだけども、こちらについてももはや語り合える相手がいません。現在の勤務先の状況を考えると「自ら組織再編」ということは考えにくいので、自分が巻き込まれたあれこれを引き継ぐことはないと思います。こちらも後が続かない仕事だったといえましょう。

 ま、これでよいのかもしれません。
 「昔はなんかいろいろあったみたいだけど今は!」という組織のほうが働いていて面白そうですしね。
自分とて「生き字引」的社員になるつもりもありませんが、どうしても蓄積された記憶や経験が邪魔くさくなります。
 
 30年一区切りでもよいのではないかと、丸い月を見ながら割と真剣に考える夜。
 
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