企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

雑感・備忘録


サクリファイス  アシストの生き方

 心身の疲れか衰えなのか、通常業務はこなしているものの法律系の情報から距離を置いて数日。
たまたま近藤史恵の「サクリファイス」シリーズの3作目(スピンオフの短編集は除く)「スティグマータ」が文庫化されていたのをみつけたので読む。

 自転車のロードレースチームを舞台に、エースではなく「アシスト」を主人公に据えたシリーズですが、アシストが負う酷な役割をきちんと描いている小説だと思います。チームの勝利のため、エースを優勝させるため、風よけ、牽引役、ライバルを消耗させるためのアタック、ときにスポンサーを満足させるためにTV中継で大写しになるような走りまで要求される。エースはアシストを使い倒し、アシストはエースのために己の体力・能力を使い切る。「サクリファイス」とはよくいったものです。
第1作目の「サクリファイス」が刊行されたのは2008年。勤務先が売却され資本が変わり組織も流動的に変わる期間の始まりの頃、部門長は上にいるものの「法務」「広報」業務の経験者はなく、組織内における位置付けも混乱している状況で自分はどういう職業観を持って働くべきなのか、そういう思いが幾度となく浮かぶものの、日常業務に落いつくのが精一杯でした。

 それから10年。
 年末に事情があってとある面談に臨んだときに、10歳は年下であろう相手に「あなたは攻めの法務ですか、守りの法務ですか」と訊かれ苦笑いで応えるぐらいまではきました。
 世の中の大概の事業会社では収益を稼ぐ部門が「エース」であり、「攻め」であろうと「守り」であろうとバックオフィス部門に位置付けられる以上法務部門等が「アシスト」であることに変わりはないと思っています。
自転車のロードレースにおける「アシスト」が、ときにエースに先行してレースを作る、伴走して牽引役、風よけとなるのと同じような役割を果たすことができればいいかと。 
 ただしアシストとして使い倒されるにしてもそのための経験や能力は必要で、それが備わってなければ「アシスト」としてエースに選ばれないのはいうまでもありません。
 一方アシスト側から使い倒してくれる相手を選ぶことがあってもおかしくなく、使い倒されがいのないチームから別のチームに移籍するのはプロとして当然のことでしょう。経理や法務部門の担当者が転職する理由も似たようなところがあると思います。

 「スティグマータ」では、不安定なエースの様子を見てアシストとしての仕事をせずに自分のレースをしないかとのチームメイトが誘ってくるのに対して、エースと一緒に走ると主人公が言い切る場面があります。自分だったらそう言いきれるか。
 
 使い倒され、使い切るアシストになれているのか。爽快なスポーツ小説を読んだにもかかわらず、読後にそんな思いを抱えたのは、やはり疲れているからなのでしょうかね。
 



 



 

どこからどこへ 2018

 年末定期ポストです。
 何かと「平成最後の」というのが当たり前のようになった1年。そんな1年を何をして過ごしてきたのか、首をひねるばかりであります。

 仕事の面では詳細は書けないのですが、年明け早々労務系リスクに追われ、その後はケチな不祥事の始末にかかわり、と 法務担当者というよりも監査のような業務に関わる時間が多かった1年でした。
会社の置かれた状況によって求められる業務のカタチが変わるものだ、と溜め息半分で自分を納得させていたことも多々ありました。

 気がつけば50代を迎えてから何年か過ぎています。自分が20代の頃、今の自分の年齢の人間が職場にいたかというといませんでした。役員、次期役員候補になる人間以外は順に子会社や関連会社に出向なり転属していました。そうやって新陳代謝がはかられていたのでしょう。(それでは子会社や関連会社側の人間はたまらないだろうと思う向きもあるかと思いますが、そこは子会社側もしたたかにやり過ごしていたわけです。)
 しかし今はどうでしょうか。組織再編が進み出向・転属先がないということも珍しくありません。社会情勢を考えるとおっさんはあと5年から10年は働かなければならない状況です。若者からみれば、「いつまでもおっさんが職場にいる」という大変煙ったい状況が続くことになります。たまりませんね。
なんとかテックが興隆する時代にバブルなおっさんの経験なんか価値ないよ。「おっさんの経験をデータ化してみてもタブレットのストレージの消費量が全然増えないんだよな。スカスカ。」なーんてことをいわれるのでしょうなあ。ちくしょう。

 2019年はどういう年になるのか、するのか。

 おっさんとなんとかテックは共存できるのか。
 おっさんは今いる職場にしがみつくしかないのか。

このあたりがテーマですかね?

 さてこの1年、本ブログにお越しいただきありがとうございました。
年々ノイズのようなエントリーが増えてきている自覚はあるので、来年はもう少しマシな内容が書けるよう精進します。

 良いお年をお迎えください。
 



 

15歳の頃

 どうも法務ネタがまとまらないので、最近読んだミステリー・サスペンスもののメモ。

 15歳、中学3年生の頃の記憶。思い出すこともわずか。40年近くも経過すれば無理もないのですが、とにかくクラス全体の空気が嫌で、早く高校受験を終わらせて学校とおさらばしたいと思っていたことだけを覚えています。自分の心持ち次第でもしかしたら楽しいことも苦しいことも同級生同士で共有できたかもしれないと、ふとそんな気持ちになったのは沢村鐡「雨の鎮魂歌」(中公文庫)を読んだから。

 沢村鐡というと正体不明のバイオテクノロジーと警察組織の闇を絡めた「クラン」シリーズを読んでいたのですが、今作は20年近く前に発刊された作者のデビュー作の加筆修正版ということで手にとってみました。
 主人公は北日本のある町の中学3年生。同級生であり友人の生徒会長の死の真相をたどっていくというのがストーリーの骨子。中学3年生が同級生の死の真相に迫っていくという点では宮部みゆきの「ソロモンの偽証」と共通していますが、「ソロモン」が東京の住宅地と学校が舞台で、周囲の大人を巻き込みながら中学生による「校内法廷」という「静」の世界に展開したのに対し、こちらは「大人のなりかけになろうとしている」事情(恋愛、進学など)と「町の大人の事情」(暴力、犯罪を含む)とが複雑に絡み、汗やら血の匂いが常に作品内に漂っています。
 主人公たちが肉体的にも精神的にも傷つきながら真相に迫っていく姿に、自分が中学3年生の頃にここまでの熱さや狂おしさがあっただろうかと、大変眩しい思いでページを繰ったのでした。
 
 興味がありましたら是非。

 巻末の作者の謝辞に、加筆修正して改めて世に出した心情がにじんでいます。
 


 

デジタルとおじさん

 IoTだのAIという時代にanalog/digitalという分け方かと思うのですが、育ってきた環境がanalogなので仕方がないのですよ。

 マンサバさんが現行iPad Proの入手を薦めていますが、実は自分も春先に購入していました。あまり使いこなしているとはいえませんが。購入の動機は、老眼が進んでiPhone plusの画面でも文字を追うのがしんどくなったからいうのもありますが、便利そうなので使ってみようというのが大きいですね。手書き認識も良くなっているというので、(最初はいらないやと思ったのですが)Apple pencilを買って使ってみたところ、手書き文化で育ったおじさんには思った以上にしっくりきたのです。
そこで「待てよ、この感覚は昔経験した」と20数年前の90年代中頃に使っていたSHARPのZaurusを思い出したのでした。
 当時の所属部門の課長、それまで手書きで思いを伝えろ!みたいな人間だったのが、突然機械化に目覚め「お前ら夏の賞与でZAURUSを買え!」と強権発動し、家電量販店でまとめ買いするからとゴリゴリ値引きして購入、問答無用で課員全員に現金引き換えで配布されたのでした。連絡先や簡単な通達、活動テーマなど赤外線通信等でやりとりしたような記憶があります。当時としては、進んだ取り組みではなかったでしょうか。Zaurusにはタッチペンでの文字認識という機能があったのですが(Apple社との共同開発だったはず)、なんのことはない、四半世紀近くの年月を経て戻ってきたというところですが、利便性は比較のしようがないほど向上しています。技術の進化はそれを受け容れようとすればちゃんと恩恵をもたらすということでしょうか。

 会社の業務だけでなく日常生活のあちこちに先端情報技術が採用されている時代。ビフォーインターネット世代だからわからない、使えません、では日常生活にも支障をきたすだろうと思います。生死に関わるような支障は今のところないでしょうけれども、時間や手数料など必要のないコストをむざむざ負担してしまうということは既に起こっていますよね。
 業務ではもう関わることはないかもしれないけれども、この先何十年も生活していく、おじさん世代こそ生活防衛のために最新の情報技術はおさえておく必要があると思います。

 まあそんなわけでデジタルとちゃんと向き合おうと思う晩夏の午後でした。

語って語り捨て、聞いて聞き捨て 

 わざわざいうまでもない灼熱の日々。
 難しいことを考えるのも億劫ですわ。というわけで今回は埋め草エントリ。

 宮部みゆき、といえば本格ミステリーからSF、ファンタジー、時代物と手がける作品の幅の広さでは当代一の作家の一人だと思います。それぞれにシリーズ、連作ものがいくつかあるのですが、今回は時代物の「三島屋変調百物語」 について。全国紙で連載されたこともあるので読まれた方もいるかと思います。
 自分の迂闊な言動が許嫁と幼馴染の死を招いてしまったことで悔い心を閉ざしたヒロイン「おちか」が、預けられた江戸の商家三島屋で様々な語り手による「怪談」の聞き手をつとめることで閉ざした心を開いていくというシリーズ。第1巻の「あやかし」から最新巻の「あやかし草紙」まで物語の中で経過した時間は3年ほどですが、発刊ペースでは10年かかっています。「怪談」の数は26話。まだまだ百物語までは遠い道のりと思っていたところ「あやかし草紙」で「シリーズ第1期」完結という予想外の展開となりました。伏線は第4巻所収のエピソードに張られていたのですが回収はもう少し先だろうと思っていたのでやや驚きでありました。
 宮部みゆきの作品の共通項は人の情念というものを丁寧に描くという点と「事件」を通じての主人公の成長という点だと思っているのですが、この「三島屋」シリーズにもそれがよく表れていると思います。
 語って語り捨て、聞いて聞き捨てとは、主人公が語り手の話を聴く際のルール。だからこそ語り手は胸の内に閉じ込めていた話を吐き出していきます。つかえた思いを吐き出した後の語り手の姿は様々ですが思い残すことはないと命を絶つ、あるいは命が尽きるというエピソードもあります。この辺りが宮部流の「甘くない」ところ。語り手の死という事実をも主人公に引き受けさせ成長させていく、というところでしょうか。

 担当業務のなかに相対して相手の胸の内を吐き出させなければならないというものがありますが、業務である以上語り捨て聞き捨てというわけにはいきません。このような業務を重ねていくと自分のなかに澱のように溜まっていくものがあります。語って語り捨て、聞いて聞き捨ての場が欲しくなる時期が自分にも来るのでしょうかね。
 




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