企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

雑感・備忘録


どこからどこへ 2017

 あと数時間で2017年も終わり。

 時間が経過するスピードが年々加速している、とは誰もがいうセリフではありますが、自分の年齢になってくるとただ1年が短くなったなあという感慨というよりも、いろいろな意味で残り時間が減ってくることに対する形容のしようがない不安の方が先でしょうか。

 今年でひと世代に相当する期間、サラリーマンを続けたことになります。そのうちの三分の一の期間が、企業法務系業務。しかし、年数を重ねるごとにこのまま今の業務を続けていてよいのかわからなくなる瞬間が増えました。
 強烈なトップダウン企業の完全子会社となって5年、子会社の法務の裁量範囲が限定的になるのはやむを得ないのですが、ここのところ「人」の問題を含めたトラブルシューティングの業務に占める比率が高まりました。「火消し」の仕事は大切なものですが、かけた労力ほどの充実感は得られないことがあります。(昨年のカレンダー企画のエントリのように)その一方、経営陣の自分に対する評価はトラブルシューティングにあり、評価のメールを苦笑交じりで読み、そして自分の感情を流し去る。

 社外の人間が自分をどう評価するのだろうか、すぐにどうこうというわけではありませんが複数のエージェントと面談の機会を作ってみました。「転職はされていませんが、転職されたのと同じような環境とキャリアですねえ。」と、「面白い」とはいわれるものの需要があるのかは定かではない反応に、「まあ、そうかもしれないな」と愛想笑いを返すばかり。以前、役員(リタイア済み)に「お前は一体何が本職なのか。」と問われたのと同じことかもしれません。

 現場に近いところに身を置きつつ決して現場の感情に流されず、
 管理部門に身を置きつつ事務屋には徹さず、
 経営陣の意向は理解しつつ忖度はせず。

来年もこんな感じでいけるのかどうか。はたして。
この歌を思い出しました。
白鳥はかなしからずや 空の青海のあをにも 染まずただよう

今年も雑文にお付き合いいただきました方々に御礼申し上げます。
ありがとうございました。
来年も当面こんな感じの運営を続けるつもりです。
 
よいお年をお迎えください。

 

埋草:おじさんが望んだ(はずの)未来

 なんとかテック流行りの近頃。
 #legal AC 界隈でもテックネタが散見されますし、呟き界隈でもハンコや紙の契約書の廃絶を唱えるものが目立ちます。そして共通するのがテクノロジーの行方に立ちはだかるのが決まって中高年世代、おじさん達だというのですが、本当におじさん達は立ちはだろうとしているのでしょうか。
 
 職場で各個人にパソコンが行き渡り始めた90年代中頃に自分は既に30代を迎えていましたが、ワープロや簡単な表計算ソフトは使用していましたのでそれほど抵抗はありませんでした。もっと大変だったのは自分らの上の世代であります。決裁文書は意思の強さは筆圧に現れるといわんばかりの手書きかつカーボンコピー、予実算資料はA3統計用紙に管理職が自ら定規やら何やらでフォーマットを作ったものをコピーしたものにこれまた手書きという時代が長かったものですから、年がら年中「俺のキーボードに『ぬ』がない。」とか「パスワードを忘れた!」と当時のおじさんたちは我々若手の仕事の邪魔をしてくれたものです。おじさん、といってもよく考えたら今の自分よりも5歳から10歳近く年下だったのですが。
 そんなおじさんたちが決まっていうのは、どうせコンピューターを導入するなら「俺が喋ったことをそのまま文書にしてくれればいいのに。」「頼んだデータが自動的に出てくればいいのに。」などと、完全自動化でなければ意味がないといわんばかりのものでした。
 また、荒っぽい営業の職場の人間は煩雑なきめ細かい事務手続きが苦手です。社内文書だろうが社外文書だろうが、社内のあちこちに書類を持って回って判子をもらうという作業が本当に憂鬱なのです。
 大手企業と幸運にも直接契約を交わすことになったものの、印紙の申請やらA2サイズの図面をA4サイズに折りたたんでの袋とじ製本した上でさらに何箇所も綴印やら割印を押す申請書を書く、というようなこともありました。判子は管掌役員や社長印です。総務や文書の人間にも説明が必要です。そしておじさんはいうのです。「なんで判子がいるんだかなあ。」

 時は流れ当時のおじさん達はリタイアし、自分は当時のおじさんの年齢を超えました。
自分がリタイアする前にあの頃のおじさんが望んだことのいくつかがなんとかテックで実現する可能性が高くなってきました。あの頃、おじさん達のぶん投げ下請けで実際手を動かしていた我々が、なんとかテックの行方を遮る理由は見当たらないのです。(なんとかテックの成長・成熟が前提ではありますが)

 必要だが煩雑な業務を楽にしようとすることに反対している中高年とは一体?


 さて、肝心の#legal ACのエントリの下書きすら一文字も書いていない…
 あと5日しかない。



 

示唆するもの 『観応の擾乱』(亀田俊和 著)

 本日のネタは『観応の擾乱』であります。何がどうなのか混乱の極みの解散総選挙についてこの文言を呟いたところ、『観応の擾乱』(著:亀田俊和 中公新書)の著者にRTされまして畏れ多いことであります。#LegalTechLTで盛り上がっているというのに、室町幕府初期の内乱をネタに?というところですが企業の組織ネタとして考えていたので、まあそのあたりをぶつぶつと。

 観応の擾乱は、兄弟仲良く幕府をスタートさせたはずの足利尊氏・直義兄弟の骨肉の争いに全国の諸将と北朝・南朝が巻き込まれた(南朝方はつけ込んだというのが正解か)内乱。歴史嫌いの理由にあげられる「登場人物が多いし、敵味方がコロコロ変わるのでよくわからない」そのもの。
 大雑把に現代風に例えると、長年大手企業の下で苦渋を舐めてきた下請会社の経営者尊氏・直義兄弟と彼らを支えて来た総務部長である高師直一族が、ようやく単独で事業を立ち上げたものの組織の統治方法や権限やらを巡って争いさらに後継者問題も加え、大株主を巻き込んだ争いになってしまったという感じでしょうか。
 内乱初期では兄尊氏はぼろ負けです。尊氏側についていた高一族もほぼ壊滅させられました。それから尊氏は巻き返し、弟直義を追い詰め死に至らしめ勝利します。この後も武蔵野での合戦や、庶子直冬との戦いは続きましたが最終的には反対勢力を駆逐するのです。
本書『観応の擾乱』ではこの内乱を通じて尊氏と室町幕府は政権担当能力を身につけたと評価しています。
 共同経営者の弟と有能な総務部長を失って初めて兄が経営者として独り立ちしたというところでしょうか。

 本書を読んで自分なりのポイントとしたのは「なぜ尊氏は巻き返しできたのか」という点。
ぼろ負けしながらも直義との講和で恩賞充行権(役職員の査定や報酬決定とその執行権といえばいいのかな)を死守したところが潮の変わり目になりました。
幹部や上司を何をもって信用するか、その組織に留まるかという判断基準が「業績に対する正当な評価と報酬支払」というのはいつの世も変わらないということですね。
 また室町幕府スタート時は尊氏・直義の二頭政治と理解していたのですが、実質は直義がほぼ切り盛りしていたことが本書で明らかにされています。
 シンボルとしての経営トップと実務上のトップとに分かれる「共同経営」の危なっかしさも中世の時点ですでに起こっていたのですよ。統治と権限、というのは今も昔も経営者にのしかかる課題であることに変わりないということでしょうか。

 ところどころ企業法務の視点を織り交ぜ読みましたが、中世史に興味がある者としては面白い本でした。
 日本の中世史は趣味としてじっくり取り組みたいと改めて思いましたね。
 

読んだ本 ブラック・マシーン・ミュージック

 先月半ばからの体調不良からようやく脱け出したものの、夏季休暇でだらけております。

 白人至上主義者一派とそれに反対する一派の衝突したニュース映像。人ごととして眺めるのか、日本人も有色人種である以上いつ矛先が向けられるかわからないと思うべきなのか。実はすでに向けられているのか、かの国で暮らした事がないのでなんともいえません。

 ジャズ、R&B、ブルース、ソウルといわゆる「ブラック・ミュージック」とカテゴライズされる音楽を聴き散らかしていた時期がありました。その中で聞きなれない「ジャンル」でどうもしっくりこないまま、結局あまり聴いていないもののなかに「デトロイト・テクノ」がありました。初めてこのジャンルを目にしたのは河出書房出版のマイルス・デイビスのムック(2001年初版)ですが、その記事を書いていた野田努氏が同年発刊していた「ブラック・マシーン・ミュージック」が増補新版として復刊したので読んでみました。結構な文章量に加え自分が若い頃聴いた音楽が登場するのはごく一部に過ぎませんでしたから、ときおりYouTubeなどで動画を検索しながら読みました。(法律書もその熱心さで読もうな)
70年代のディスコ、80年代のハウス、そして90年代のデトロイト・テクノとアンダーグラウンドの歴史を丹念に追っています。
 
 さっくり感想。
 本書で取り上げられた音楽そのものはCDや配信、動画サイトで視聴できます。しかしその作り手の動機、心情というものを簡単に理解できるものではないということ。人種対立や差別、そこから生まれる抗争といったものがない社会に生まれ育った人間が、文献や音楽に触れただけでわかったような顔をしてはならないということ。当然といえばそうですが。巻末のディスコグラフィーや参考文献を追うだけでも相当な情報量ですが、それらは理解のための糸口に過ぎません。音楽を含めひとつの社会や文化を理解するには並大抵のエネルギーでは足りませんね。

 ところで肝心のデトロイト・テクノの音楽そのものですが、どうやら聴かず嫌いだったようでおりをみて聴こうかなと思った次第。いい歳をして、ですがデトロイト・テクノの生みの親は自分とそう変わらない年齢なので、まあいいじゃないですか。



  

運が尽きさせ給ひて  武田氏滅亡

 いつも以上に法務とは関係ないエントリです。(だってBLJが届いていないんだもの)

 思うところあって「武田氏滅亡」(平山優著 角川選書)を読みました。 
 武田勝頼というと、名門武田家の家督を継いだもののわずか10年余りで滅亡させてしまった「残念な」当主というイメージが強いですよね。NHK大河ドラマをはじめ歴史ものは織田・豊臣・徳川側の視点のものが多いせいか、信玄亡き後の武田家の描かれ方は長篠の戦いで大敗するシーンと、天目山でわずかな手勢とともに自刃するシーンぐらい。昨年の「真田丸」でようやく最後の姿が(フィクションとはいえ)きちんと描かれていました。(少なくとも自分の記憶では)その「真田丸」の時代考証をされていたのが、平山優氏です。
 信玄の死から武田氏滅亡までの10年弱を可能な限りの文献からこれでもかというくらいに丹念に追いかけています。 執念といったほうが良いかもしれません。その結果見えてくるのは、武田勝頼はただ家を潰したバカぼんではなくて、凄まじい速さで情勢が変わる関東甲信越、駿河地域で必死にサバイバルしようとしていた姿です。ある局面ごとに勝頼がとった選択が結果として武田家の世評を貶め、家臣や領民の離反につながったといえます。しかし家督継承直後の長篠の戦いで主要な人材・兵力を失ったなかで打てる手は限られていたはずで、北条、上杉、織田、徳川といった勢力と対峙するのは至難の状況だったのではないでしょうか。考えられる手は打ったものの、タイミングのわずかなズレで、状況を好転させることができなかったのでしょう。「運がなかった」ということでしょうか。武田氏の滅亡から3ヶ月も経たないうちに本能寺の変が起きていることを考えるとなんともいえませんね。

 現代のビジネス環境に置き換えてみるとどうなるか。
 本来子会社の社長でちょうど良かったのが、図らずもグループトップに就任せざるを得なかった。本社に腹心の部下がいないので子会社から部下を引き連れていったものの、本社生え抜きとついに折り合えなかった。先代の社長が業績を伸ばしてきた環境とは一変し、その結果資本を失い、人材も失った。やむを得ない状況だったとはいえ、先代から築いてきた企業提携関係を終わらせたことで相手先だけでなく業界からの評価も悪化した。重要だが不振にあえぐ事業のテコ入れが財務・人員の都合から十分できず、当該部門の社員を見捨てることになった…経営者として必死に取り組んできたはずなのに。
 何か心が痛くなってきますね。


「運が尽きさせ給ひて」というのは「三河物語」の中で織田信長が勝頼の首級をあらためた時に口にした言葉として記録されているそうです。このことは信長が武田氏の終焉に同情したのだと著者は書いています。真実はわかりませんが、名門があっけなく滅ぶ姿を目の当たりにして信長も感じるものがあったのかもしれませんね。

 名門が滅んでいく過程というのは、もっと研究されていいと思いますよ。


 
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