雑感・備忘録

2021年01月24日 17:52

 順不同で積読解消中。そのなかの書籍から。
 『企業不正の調査報告書を読む』(安岡孝司著 日経BP社)

 企業不正が発覚し報道される機会が増え、なんとなくその手の話題にある種「鈍く」なっている自分がいる。興味・関心がないということではない。以前は「え!あの企業ですらこんな話が!」という驚きを持って情報に接していたのだが、今はその「驚き」というよりも自社にも該当するような状況がないかを確認するようになってしまっている。

 著者はみずほ情報総研(旧富士総合研究所)で金融技術開発部長などを経てから、芝浦工大大学で工学マネジメント研究科の教授を務めていた方。弁護士、企業法務とはまた別の切口でリスクマネジメントを研究されている。
 本書は2部構成。第1部が「企業不正の事例分析」全7章を使って直近の29社の事例(!)とそれぞれの不正防止のチェックポイントを提示している。第2部が「不正防止のチェックポイント」。こちらも6章をたて、不正防止の考え方から(不正)調査報告書に対する提言まで言及している。
 しかし、なんといっても冒頭の「はじめに」からのジャブの効かせ方だろう。「はじめに」の終盤に「経済公害の悪循環」の見出しで不祥事企業がお約束のように立ち上げる「調査委員会」についてこのように記している。(本書5頁からの抜粋)

  • 調査業務を発注するのは経営者なので、経営者に不利な調査を頼むはずがない。
  • 社会的に問題なのは、経営者にすり寄った調査で済ませてくれる事務所が繁盛し、根本的な原因解明が行われない行われないことです。
  • 調査ビジネスには弁護士や会計士の資格が不要で、内容的な規制もないため、自由な競争状態です。
 第三者委員会ありきの風潮は感じるし、第三者委員会の仕事を受任しようとする事務所があってもおかしくないが、著者が士業の方でないため遠慮なくジャブを繰り出している。さらに、経営者に都合のよい調査報告書を書いたメンバーが、その後の改善委員会に名を連ねることについても手厳しい。このような事態を問題視し(いや、そもそも問題と思うが)、これが繰り返されると次の悪循環が生じると畳み掛けている。(同頁から抜粋)
  • 不正調査のために法律事務所を探す
  • 経営者に甘い法律事務所が増殖する
  • 信頼回復に本気で取り組まない法律事務所が増殖する
  • 不正が再発する

さらに
  • 調査発注者の責任は調査されない
という「調査発注者免責の法則」と呼び、調査報告書について経営責任まで調査していても優れた報告書とはいえない、発注者の不利なところまで調査したものが優れた調査報告書であるとしている。
 著者のこの「はじめに」に呼応しているのが第2部の第11章「調査報告のチェックポイント」第12章「調査報告書への監視と盲点」である。調査を受任する可能性のある弁護士では書きにくいことをさらりと書いていると感じた。

 本書の意図を本当に理解するには、第1部の不正事例に挙がった企業の調査報告書に目を通す必要がある。なかにはテキスト検索やマーキングできない方法での報告書もあるようだが、そういうこと(企業の姿勢)も含めての調査報告書という視点を持つことも必要なのだろう。

 それにしても「調査発注者免責の法則」であるなら、経営トップや取締役会をレポートラインにもつ内部監査部門の監査とは?という問いにも繋がる。これはこれで(今はこれ以上書く力量がない)











 

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2021年01月17日 11:24

 年明けの週末から在宅勤務(1回/週のみ出勤)となった。
 昨年から部門によって在宅勤務に移行していたが、緊急事態宣言下でいよいよ居住地・通勤コースが要因となって在宅勤務となった。昨年から在宅勤務を始めた方々からみれば、周回遅れもいいところである。元々在宅勤務制度が確立していた企業を別にすれば昨年来のコロナ禍を契機に導入した企業が多いと思うが、それにしても1年近い時間差があるのだから、在宅勤務のメリット/デメリットを体験するのはこれからとなる。(嗚呼)

  もっとも業務の点では、昨年から感染防止の名目(コロナ禍によるトップライン減に耐えるためのコスト抑制という側面も当然ある)での出張制限により実査を伴う業務は一時停止状態にあるので大きく変わるものではない。それでも首都圏・関東近辺であれば注意しながら日帰り移動していたのだが、在宅化と移動制限でそれすらできなくなったのは何かと不都合である。

  メールやWeb会議で業務連絡や会議を開催することはできる。契約書・報告書をはじめとする文書作成、精査・修正といった業務は滞ることなく処理できるが、例えば監査業務のうち事業所長の面談や棚卸実査などを全てリモートに移行できるかといえば、(勤務先の)現状ではまだ難しいと思う。 
 今は雑音の少ない環境で旧版のままとなっている規程や基準の改定作業やスタッフとの勉強会資料の作成に専念しているが、今後何がどうなることやらで。

 私生活の点でいえば、通勤しないことによる運動不足が課題である。通勤の場合は平均で1万歩/日程度歩いていた。日々のルーティンを崩さないという意味で、朝始業前と夕方終業後に原始的であるがほぼ同距離を歩いている。何をやっているやらという気がするが、小さなことでも続けられることは続けておこうということから。

 それにしても、メリハリをつけるのが地味にきつい。

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2020年12月31日 23:04

 季節感というものを喪失した2020年があとわずかで終わる。
それでもかのウイルスに感染もせず、職を失うこともなく終えることができた。首都圏の感染状況を考えれば、「幸運」であったと胸を撫で下ろすばかりだ。明日から始まる来年のことはまた別だが。

 コロナ禍の状況下で「withコロナ」「ニューノーマル」という言葉が踊った。仮にこの災禍が終息したとしても2020年以前と同じ社会には戻らないし、戻れないという認識ではいる。しかし今日のニュース(東京都の感染者数)に接すると先の2つのフレーズは「軽く」感じられてならない。今年の春先はここまで深刻な状況になるとは考えていなかったかもしれないし、意図するところは間違いではない。それでも医療従事の方の現実や、災禍の影響で失職したり長年の商いをたたむ事になった人たちがいることを考えると、「ニューノーマル」の一言でなんでも肯定してしまうのは尚早ではないかと思う。

 仕事の話でいえば、出張制限がかかり監査実査に支障が生じたほか、もらい事故のような小さな訴訟は現地の代理人に一任せざるを得なかった。多分来年以降も「現地で対面」といった業務は困難を伴うだろう。アラカンの身に鞭うってDXに本気で向かい合わなければならないかもしれない。(それはそれで面白いかもしれないが)
 ビジネス環境が一変すれば企業ガバナンスのあり方も変わるだろうし、予防法務や内部監査といったディフェンスラインに求められる役割も当然変わる。来年以降が本当に試される時期と勝手に思っている。

 今年は夏から秋にかけてブログのエントリーが極端に減った。特に業務多忙だったわけではない。気力体力が不足してインプットの量が減っただけのことである。冬近くなってようやく気分が戻ってきたという感じであった。年を取る、ということをと感じざるを得なかった。「老い」はこうして少しずつ体に侵入してくるのかもしれない。

 年々乱雑になってくるこのブログを訪れていただいた方に御礼申し上げます。
 よい新年をお迎えください。

 



 

 

 
 

 
  
 


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2020年04月05日 18:18

 何かと不安定でエントリーもままならず。遅ればせながらの定点エントリー。

 先月末で会社員となって33年が経過した。とりあえずの残り年数が片手で数えられるようになってしまった。新入社員時代のことどころか、20代から30代初めの頃の記憶も断片的で粉々である。中高年以降の人間が過去を美化しがちなのは、記憶に残った断片を都合よく継ぎ合わせてしまうからだろう。これは実感としてある。だから普段はあえて昔語りはしないようにしている。

 バブル経済と崩壊、リーマンショックといった時代を通り抜けてきた。とはいえ、前者のときは会社員駆け出しの時期であり、バブルといっても年収が上がったわけではなく、したがって崩壊後も年収面ではたいして影響も受けなかった。ただ当時は営業職にあったので、部門の受注売上の見込みがガタガタになり、ターゲットとする顧客を大きく変えざるを得なかったことを憶えている。そのため休日出勤、深夜残業が当然の毎日であった。よく心身がもったと思う。
 後者は勤務先が企業グループから切り離された時期と重なった。10年以上経過したのでいえるが年収崩壊を経験した。月俸が元に戻るまでの年月はきつかった。

 それでもコロナ禍の現在よりは比較にならないほどマシであったと思う。勤務先のビジネス継続のリスクと自分の生命のリスクの両方とが現実味を帯びているのは33年間勤務しながら初めてのことである。
なんだかんだいって安穏な雇われ人生だったということだ。

 早く元通りの生活にと願うこと自体は当然のことだ。しかしあと何ヶ月続くかわからない現況が収束したのちに「元通り」に戻ることはできるか。いや「元通り」とは何を意味するのだろうか。
 職場や学校に行かなくても業務や学習が回ることを知ってしまった。そのために作ったルールや仕組みをまた元に戻す必要性は低いだろう。一方、客足の途絶えた街や路地の経済を放置したままでよいということはないだろう。これはほんの例え話だ。
 30年以上になる会社勤め、もっていても役に立たない経験にこだわっていても仕方ないだろう。せいぜい同世代との間での思い出話になるかどうかというところだろう。
 だが。
 春先に元の企業の入社同期と話す機会があった。その企業も予定通りであれば企業グループを離れ、別の資本傘下となる。何を思っているかと尋ねれば「もう残り少ないからさ」と自分たちは逃げ切れるかのような話ぶりだった。もう彼らと会う気も話す気も失せてしまった。自分も向こう側にいたらそんな人間になっていたかもしれないとある意味恐ろしくなった。

 「片手で数えられる年数」が、図らずも想定を超えた年月になりそうである。苦悶、葛藤の時間になるかもしれない。つくづく人生は甘くない。
 しかしその人生ですら、コロナ禍を無事乗り切ればという前提だ。

 ようするに、うがい、手洗いの徹底と外飲み自粛の34年目の春なのである。

 


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2020年03月22日 19:50

 桜満開、ここ数週間の自粛モードに倦み外出した向きも多いことだろう。

 ある漫画の結末に感動し余韻に浸っていたいのに、その漫画に広告代理店が関与していたことがわかったことで漫画なりその作者の評判が一転していく…というのを遅ればせながら知った。
 この手の商売の難しさを改めて思う。広告代理店の商売の進め方が拙速だったといえばそうかもしれないが、人が「手垢のついた」感動に敏感になることはよいことなのか悪いことなのか。

 「東京の青い空」とは、70年代半ばから80年代初めにかけて「少年ジャンプ」や「ヤングジャンプ」でギャグ漫画家として活躍したコンタロウ氏の読み切り作品である。もう50代以上の人間にしかわからないかもしれないが、当時の少年ジャンプは年1回、人気上位漫画家が読切漫画を掲載、読者投票で「愛読者賞」を決めるといったことをやっていて、当作品はコン氏の1976年か1977年のエントリー作品だった。いつものギャグ漫画ではなく、SFものだった。内容については、ネット上にいくつかこの作品に関する記事が上がっているので 興味がある方はそちらをご覧になっていただければと思う。
 ネタバレにならないように作品内容に触れれば、ある閉塞的な環境に置かれた未来社会で、ギスギスした群衆の心理を和らげ何とか社会を維持するために、政府があるシナリオを実行する。その代償となるのが3人の孤児の生。政府の思惑どおり、孤児たちの行動に大衆は感動し涙を流すのだが…といったもの。
 今となっては新鮮味があるストーリーではないかもしれない。ただ40年以上前に少年誌上でコン氏のほのぼのとした画風ながら「感動ストーリーには裏があること」を描いた意欲作だったと思う。当時小学生だか中学生だった自分は、大人がやたらと盛り上げようとする感動は胡散臭い、裏があると考えたほうがよいと思うようになった。まったく可愛げのないガキになった。(同時代に始まった「なんとかは地球を救う」は今もって観たことがない。)

 70年代には想像もつかないレベルの「高度情報社会」となり、報道ですら「真実」とは限らず、出処のわからない「感動」や「怒り」が個人の情報端末を介して世界中に拡散される。「手垢のついていない」感動は、自分が実体験して得たもの以外にないのかもしれない。
 しかし、その体験すら誰かのシナリオによるものだったら? 
 




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