企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

雑感・備忘録


余熱  第4回法務系LT #LegalLT

  一昨日のことになりますが、第4回法務系LTに参加、前回に引き続き登壇させていただきました。
既に@kataxさんによるまとめや当日登壇された方のブログ、SNS等で当日の会場の雰囲気が伝わっていると思います。感想をひとことでいえば「熱かった」。著作や論文等で活躍めざましい気鋭弁護士のトークが生で聴くことができるというのは(セミナーを除けば)滅多にないことですし、異業種企業の法務担当者が今何に関心があるのか、何を問題視しているのかがわかりますからね。


 2年ぶり4回目のイベントでしたが、「5分で法務ネタを話そう」という柱に変わりありませんが回を重ねるごとに運営やイベントの姿が変貌していくことは止められませんね。小さなハコとはいえ商業施設で開催し 、入場料と飲食代を支払って登壇、聴講というスタイルが受け容れられるかと思っていたのですが、イベント告知とほぼ同時に満席という驚きの状況としか言いようがありません。 皆、このような機会を待ち焦がれていたということなのでしょうか。
 登壇者とすれば入場料からギャラが支払われるわけではありませんし、自分も支払ってはいるのですが
カネ取っているイベントということが頭の隅にこびり付きます。(その割には手ぶらで登壇しましたけどね)大いに盛り上がり楽しみましたけれども、このまま「商業化」するわけにもいきませんしねえ。
 一晩ちょっとおいてこんなことをふと思ったのでした。

 また会場内で複数の若い方から「レベルが高すぎて自分なんかまだまだとても」という声を聞きました。
 確かに今回は弁護士の登壇が多かった点はありますし、皆破綻することなく見事に5分間に収まっていたからそう思えたのかもしれませんが、それは蓋を開けてみての結果に過ぎないのですよ。
まだまだ、なんていっているうちにすぐ歳をとってしまいます。グイグイと前に出てしまえばいいのですよ。情報というものは発信した人に集まるのです。長い人生の中で5分間、ちょっと恥ずかしいだけのことですよ。次、期待しています。

 さて当日の口頭メモは以下の通りでした。

 1 DD対象会社は為すすべがない
 2 嘘も方便、従業員には「監査」で通す
 3 FAの仕切りは保って3日
 4 資料作成不要は嘘
 5 粘れるだけ粘る(当日カットしました)
 6 リークはつきもの
 7 登記が終わるまでがM&A

 最後にしばけん先生はじめ運営スタッフ一同、聴講していただいた方に御礼申し上げます。
 

5分間 その2 

 2年前にも同じタイトルで書いております、そう法務系LTの直前に。
今回もそのパターンで。(ネタ切れ)

 5分、300秒。 
 短そうで長い、長そうで短い。パワポ1枚につき1分話すとして5枚。30秒でも10枚まで。

 30年以上前、学生時代。「法曹」ではなく「放送」研究会にいた頃。アナウンス部の練習にタイムキーパーだかなんだかで顔を出すことがありました。練習はフリートーキングだったかな。
制限時間は1分間、3分間とあって(おそらく放送局の入社試験の科目だったと思われ)、題目があったかどうかはその日によって違うけれどもとにかく話す側は時計を見ず、原稿もなしで話します。
 最初のうちは1分間の場合は1分未満で話し終わり、3分間の場合はオーバーする、そんな傾向にあった記憶があります。それでも練習を重ねるうちにほぼ制限時間通りに話せるようになるものです。
 
 研修講師育成研修でもやはり時間厳守が課題のひとつ。テキストの解説に終始すれば時間が余り、自分なりのエピソードを盛り込めばあっという間に時間オーバー。テンポとメリハリ、キーワードを選べと厳しく指摘されたものです。

 はい、要は練習なのです。
 その前にトーク内容が詰め切れていないという、いくつになっても尻に火がついてもちんたらしている自分がここにいます。 
 

書店が消えた町

 地元のマイナスになることは書かない方がいいと思うのですが、多分他の町でも起こっていることがついに地元でも!ということで。

 気に入った特集のときに買う雑誌というのがあります。新聞の広告欄を見て「お、今回は買うか!」と思ったものの「ところでどこで買う?」と動きが止まってしまったのでした。
 最寄駅構内にある書店(チェーン店)が先月中旬に閉店してしまい、ついに徒歩10分圏内(厳密にいうと同一町内ではないけれど、まあ町内範囲)に書店が1店も無くなってしまったのでした。
 東京郊外・北多摩の私鉄沿線の駅近辺とはいえ、半径1km以内に公立の中学校が2校、中高一貫の私立校が3校と職業訓練短期大学があるエリアなのに!

 閉店した書店はもともとは駅前に店舗を構える自営の書店でした。中学時代の教科書のアンチョコから受験参考書はだいたいこの書店で揃えることができましたし、大学生時代も文庫本を結構買いました。古井由吉や中上健次、金井美恵子らの作品を買うものだから店主に「君は面白い読書趣味だねえ」といわれたものです。
 店主は20年前に自宅兼店舗を小さなビルに建て替えたのを機に自前経営ではなくチェーン店になり駅構内に店を移し、10年前に別の書店チェーンになる時に書店経営から手を引いてしまったようでした。
 駅構内といっても小さな駅ですから店舗面積もたかが知れています。月刊誌、週刊誌、単行本・文庫・コミックの新刊を置いたらそれで終わり。学生が使う駅でも参考書・専門書の類は一切ありませんでした。私立校の子達がその店で本を買っている姿はあまり見かけませんでした。自分にとっては帰宅時や買い物のついでに立ち寄り、建築・クルマ・PC関連の雑誌を買うには便利だったのですがねえ。
 多分、近隣の人口構成や収入層、販売データなどを分析すると不採算店だったのだろうと思います。

 書店が地域の文化発信の場、とまで大それたことをいうつもりはありませんが、町の書店の品揃えがその地域のある種の特色を表していると思うのです。でも、書店がない町はどのようにみられるのでしょうかねえ。繰り返していいますが東京郊外の住宅地なのです。

 何か望ましくないことがじわじわと進行しているような気がしてならないのです。
 





 

先駆者 冨田勲を悼む

 今年は音楽界の巨星というより一時代を築いた先駆者の訃報が続きますね。
 プリンスのことを書こうとぐずぐずしているうちに冨田勲の訃報が入ってきてしまいました。
 
 テクノポップが流行した1980年頃は、学生でもアルバイトを頑張れば買える価格のシンセサイザーが発売され始めた時期です。当時のシンセサイザー関連書籍には必ず先駆者として冨田勲とこの春亡くなったキース・エマーソンが紹介されていました。二人の写真には必ずモーグの巨大なモジュラー・シンセサイザーの姿が写り込んでいました。今年はポピュラー音楽の世界におけるシンセサイザー普及の立役者を立て続けに失くしたことになります。なんという年なのでしょうか。
 
 冨田氏の音楽はシンセサイザーだけでなく「音場」へのこだわりにも触れておかないと不十分と思います。立体的な音場を再現する4チャンネル方式や2チャンネル(ステレオね)でも同じ音響効果が得られるバイホニック(だったかな)など、本当に斬新で面白いことに取り組まれていました。
近年ボーカロイドと共演していましたが、奇をてらったわけでも若者受けを狙ったわけでもなく単純に「面白い」ことを求められたのだろうと思っています。

 少し法務風味なネタを挟むとすれば、新しくて面白い取り組みの裏で行われたであろう権利関係の交渉ですね。ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ホルストといった作曲家の作品が題材でしたから、苦労した交渉もあっただろうと思います。冨田氏がやろうとしたことはスコアや楽器編成の変更といったレベルではありませんからね。兎にも角にもその交渉の結果、冨田版「月の光」「火の鳥」「惑星」などが世の中に出たわけですからその交渉がどんなものだったのか知りたいですね。(昔のLP盤のライナノーツに少し書かれたものがあったような記憶が?)

 冨田版『惑星』のオルゴール音を思い出しながら、合掌。

ホルスト:組曲「惑星」
冨田勲
SMJ
2012-12-05 

 




 

定点観測 何度目の春か

 出張で不在でした。疲れが抜けません。
 ワンパターンではありますが、定点観測という備忘録。

 サラリーマンになって、丸々29年が経ちました。入社当時の自分の目に今の自分と同じ年齢の社員がどう映っていたかを思い出すとがっくりきます。明日月曜日に2時間弱、新入社員研修で講義をするのですが、まあそのように?映るのだろうなと 。

 おっさんというのは自分がなってみると哀しい生き物だとわかります。
 IT化に追いついていけない、英語どころかビジネスカタカナ語もよくわかっていない、「使える」「使えない」だのと好き勝手いわれ、自分は違う、老けこまないつもりでいても、もはや老眼鏡無しでは契約書ドラフト、会社貸与のスマホの画面の文字が読めない。人間ドックの検査結果の数値に一喜一憂し、ウォーキングなどを始めて一駅、二駅分歩いてみたり。あああ。

 20代後半、30代前半の血気盛ん、生意気盛りの頃、自分も確かにほざいていましたよ「あのおっさん、使えねえな」などと。
 しかし考えてみれば「使えなくなるおっさん」がいたから、下の世代がその立場に取って代わるという面もあったわけです。適度な循環というか緩やかな淘汰といいましょうか。
だからいつまでも「おっさん」がキレキレの「使える」ままでは困るのは若い衆なのですね。「使えないおっさん」が一定数発生しないと、自分の出番が来ないうちに「おっさん」になってしまいます。そしてさらに下の世代に「使えねえ」などとほざかれてしまうのです。
 こういうことは何年たっても変わりません。

 ただ昔と違うのは、大企業でも企業再編などでおっさんの出向、転属先であったグループ会社の数が減り最新のスペックでないおっさんが働ける場所がなくなっていることです。またIT化によりおっさんの仕事が実はベテランでなくとも出来てしまうことがわかってきたことも影響しているかもしれません。
技術系でない、自分のような文系出身のおっさんは生存することすら危ない状況です。生き物として生存し続けようと本能が働かすことに数%ぐらいは分があると思いますよ。あからさまなしがみつきはさすがに同世代としても眉をひそめますが。

 しかし「使える」「使えない」とひとくくりにいいますが、「誰にとって」「何の目的に」というところが抜け落ちて取り上げられますよね。おっさんが今後も「使える」存在であろうとするならば、この「誰」「目的」を見直すことではないかと。

 まあそんなことを満開の桜を眺めながら、ぼんやり思うのでした。
 




 
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