企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

雑感・備忘録


ブランド戦略の目線

 15年ぶりにかかってしまいましたインフルエンザ(B型)。先月最終週から今週初めまでいつにもまして使い物にならない状態。なので、リハビリのようなエントリ。

 過日、自家用車の車検でディーラー・工場に出向いたのですが、店舗の展示車のラインナップに変化がありました。最近自動車雑誌を読む機会がないので自分が知らなかっただけなのかもしれませんが、なんでも本国本社からプレミアムブランド車とそうでない車とで販売店舗と整備工場を分けるように指令があったとのこと。今後専用店舗・工場体制を作らない限りプレミアムブランド車は取り扱わせないという強い姿勢。これに従っておかないと過去販売したプレミアムブランド車の整備すらできなくなるので、「オーナーのことを考えるとやらざるを得ないが、店舗敷地の確保やエンジニアの雇用で経費がかさむ」と、工場の担当者はぼやいていました。 

 プレミアム路線といえばよいのか「中高級」路線といえばよいのか、自社の商品やサービスの質と単価を上げるという施策はかつて勤務先でも試みました。しかし「自社がありたい姿」と取引先やユーザーからの評価や期待との間に大きなギャップがあり、結局成果をえることができずに終わりました。短期間でブランドイメージを上げるための覚悟も経験も実力も不足していたといえましょう。同業者の「ブランド」を支えてきたものを見聞きする機会があったのですが、パワポでぺらぺらと仕上げられた「ブランド戦略」に乗っかっただけの底の浅さを思い知らされました。

 冒頭のプレミアムブランド車については、もともと「プレミアム」だったのですが、紆余曲折があり一時は風前の灯火のような存在でした。苦難に満ちた時期とようやくブランド復活を迎えた時期の車種と2台続けて乗っていたことがありますが、前者と後者では本当に製品としての「差」が歴然としていて驚いたことがあります。最近は再びパッとしない存在になりつつありましたが、自動車業界の合従連合の流れの中で「昔のブランドをもう一度」となったのかもしれません。性急な販売・整備網の変更にオーナーや肝心のディーラーがついていけるのか、かつてのオーナーとしては心配なところです。
ユーザーやファンがあってのブランド、と当たり前のことが難しいのですよね。

 それでは。次回はなんとか法務ネタに。

 

きっかけの記憶

 阪神の震災から23年。あれからそうかと本日の業界団体の会合でも話題になりました。

 その日、朝出勤直前に観たTVニュースではまだ情報が集まっておらず被害の状況はかろうじて火災が発生していることぐらいだったでしょうか。
 今と違いウェブサイトでニュース動画が流れる時代ではありません。当時、新聞各社が開設していたのはニュースダイヤル。そこに何分かおきにダイヤルすると、そのたびに被害の状況が拡大していることが伝えられました。
 そうこうしているうちに、事業部門トップが秘書に命じて関西方面のホテルの空室をかたっぱしから押さえ始めていました。家を失った従業員や家族、関係者の住まいの確保のためでした。当日の記憶として一番残っているのはこのことです。

 震災仮設住宅での高齢者の病気や死亡がニュースになりました。
 震災復興住宅(集合住宅)が、確か一般の住宅設計や住宅設備の高齢者配慮、バリアフリー化を推し進める契機になったように覚えています。

 阪神以後、災害発生時の仮設住宅の資材の確保を目的に行政や住宅団体が建材・設備メーカーなどの生産地、生産量の調査を始め、メーカー団体も仮設住宅対応の体制を整えました。のちの奥尻島や中越地震のときにこれらが機能しました。

 今では当たり前のようになっていることの中には、23年前の今日起きたことを始まりとしているものもある。このことをきちんと記憶しておこう、と思った次第。

 合掌。

 

どこからどこへ 2017

 あと数時間で2017年も終わり。

 時間が経過するスピードが年々加速している、とは誰もがいうセリフではありますが、自分の年齢になってくるとただ1年が短くなったなあという感慨というよりも、いろいろな意味で残り時間が減ってくることに対する形容のしようがない不安の方が先でしょうか。

 今年でひと世代に相当する期間、サラリーマンを続けたことになります。そのうちの三分の一の期間が、企業法務系業務。しかし、年数を重ねるごとにこのまま今の業務を続けていてよいのかわからなくなる瞬間が増えました。
 強烈なトップダウン企業の完全子会社となって5年、子会社の法務の裁量範囲が限定的になるのはやむを得ないのですが、ここのところ「人」の問題を含めたトラブルシューティングの業務に占める比率が高まりました。「火消し」の仕事は大切なものですが、かけた労力ほどの充実感は得られないことがあります。(昨年のカレンダー企画のエントリのように)その一方、経営陣の自分に対する評価はトラブルシューティングにあり、評価のメールを苦笑交じりで読み、そして自分の感情を流し去る。

 社外の人間が自分をどう評価するのだろうか、すぐにどうこうというわけではありませんが複数のエージェントと面談の機会を作ってみました。「転職はされていませんが、転職されたのと同じような環境とキャリアですねえ。」と、「面白い」とはいわれるものの需要があるのかは定かではない反応に、「まあ、そうかもしれないな」と愛想笑いを返すばかり。以前、役員(リタイア済み)に「お前は一体何が本職なのか。」と問われたのと同じことかもしれません。

 現場に近いところに身を置きつつ決して現場の感情に流されず、
 管理部門に身を置きつつ事務屋には徹さず、
 経営陣の意向は理解しつつ忖度はせず。

来年もこんな感じでいけるのかどうか。はたして。
この歌を思い出しました。
白鳥はかなしからずや 空の青海のあをにも 染まずただよう

今年も雑文にお付き合いいただきました方々に御礼申し上げます。
ありがとうございました。
来年も当面こんな感じの運営を続けるつもりです。
 
よいお年をお迎えください。

 

埋草:おじさんが望んだ(はずの)未来

 なんとかテック流行りの近頃。
 #legal AC 界隈でもテックネタが散見されますし、呟き界隈でもハンコや紙の契約書の廃絶を唱えるものが目立ちます。そして共通するのがテクノロジーの行方に立ちはだかるのが決まって中高年世代、おじさん達だというのですが、本当におじさん達は立ちはだろうとしているのでしょうか。
 
 職場で各個人にパソコンが行き渡り始めた90年代中頃に自分は既に30代を迎えていましたが、ワープロや簡単な表計算ソフトは使用していましたのでそれほど抵抗はありませんでした。もっと大変だったのは自分らの上の世代であります。決裁文書は意思の強さは筆圧に現れるといわんばかりの手書きかつカーボンコピー、予実算資料はA3統計用紙に管理職が自ら定規やら何やらでフォーマットを作ったものをコピーしたものにこれまた手書きという時代が長かったものですから、年がら年中「俺のキーボードに『ぬ』がない。」とか「パスワードを忘れた!」と当時のおじさんたちは我々若手の仕事の邪魔をしてくれたものです。おじさん、といってもよく考えたら今の自分よりも5歳から10歳近く年下だったのですが。
 そんなおじさんたちが決まっていうのは、どうせコンピューターを導入するなら「俺が喋ったことをそのまま文書にしてくれればいいのに。」「頼んだデータが自動的に出てくればいいのに。」などと、完全自動化でなければ意味がないといわんばかりのものでした。
 また、荒っぽい営業の職場の人間は煩雑なきめ細かい事務手続きが苦手です。社内文書だろうが社外文書だろうが、社内のあちこちに書類を持って回って判子をもらうという作業が本当に憂鬱なのです。
 大手企業と幸運にも直接契約を交わすことになったものの、印紙の申請やらA2サイズの図面をA4サイズに折りたたんでの袋とじ製本した上でさらに何箇所も綴印やら割印を押す申請書を書く、というようなこともありました。判子は管掌役員や社長印です。総務や文書の人間にも説明が必要です。そしておじさんはいうのです。「なんで判子がいるんだかなあ。」

 時は流れ当時のおじさん達はリタイアし、自分は当時のおじさんの年齢を超えました。
自分がリタイアする前にあの頃のおじさんが望んだことのいくつかがなんとかテックで実現する可能性が高くなってきました。あの頃、おじさん達のぶん投げ下請けで実際手を動かしていた我々が、なんとかテックの行方を遮る理由は見当たらないのです。(なんとかテックの成長・成熟が前提ではありますが)

 必要だが煩雑な業務を楽にしようとすることに反対している中高年とは一体?


 さて、肝心の#legal ACのエントリの下書きすら一文字も書いていない…
 あと5日しかない。



 

示唆するもの 『観応の擾乱』(亀田俊和 著)

 本日のネタは『観応の擾乱』であります。何がどうなのか混乱の極みの解散総選挙についてこの文言を呟いたところ、『観応の擾乱』(著:亀田俊和 中公新書)の著者にRTされまして畏れ多いことであります。#LegalTechLTで盛り上がっているというのに、室町幕府初期の内乱をネタに?というところですが企業の組織ネタとして考えていたので、まあそのあたりをぶつぶつと。

 観応の擾乱は、兄弟仲良く幕府をスタートさせたはずの足利尊氏・直義兄弟の骨肉の争いに全国の諸将と北朝・南朝が巻き込まれた(南朝方はつけ込んだというのが正解か)内乱。歴史嫌いの理由にあげられる「登場人物が多いし、敵味方がコロコロ変わるのでよくわからない」そのもの。
 大雑把に現代風に例えると、長年大手企業の下で苦渋を舐めてきた下請会社の経営者尊氏・直義兄弟と彼らを支えて来た総務部長である高師直一族が、ようやく単独で事業を立ち上げたものの組織の統治方法や権限やらを巡って争いさらに後継者問題も加え、大株主を巻き込んだ争いになってしまったという感じでしょうか。
 内乱初期では兄尊氏はぼろ負けです。尊氏側についていた高一族もほぼ壊滅させられました。それから尊氏は巻き返し、弟直義を追い詰め死に至らしめ勝利します。この後も武蔵野での合戦や、庶子直冬との戦いは続きましたが最終的には反対勢力を駆逐するのです。
本書『観応の擾乱』ではこの内乱を通じて尊氏と室町幕府は政権担当能力を身につけたと評価しています。
 共同経営者の弟と有能な総務部長を失って初めて兄が経営者として独り立ちしたというところでしょうか。

 本書を読んで自分なりのポイントとしたのは「なぜ尊氏は巻き返しできたのか」という点。
ぼろ負けしながらも直義との講和で恩賞充行権(役職員の査定や報酬決定とその執行権といえばいいのかな)を死守したところが潮の変わり目になりました。
幹部や上司を何をもって信用するか、その組織に留まるかという判断基準が「業績に対する正当な評価と報酬支払」というのはいつの世も変わらないということですね。
 また室町幕府スタート時は尊氏・直義の二頭政治と理解していたのですが、実質は直義がほぼ切り盛りしていたことが本書で明らかにされています。
 シンボルとしての経営トップと実務上のトップとに分かれる「共同経営」の危なっかしさも中世の時点ですでに起こっていたのですよ。統治と権限、というのは今も昔も経営者にのしかかる課題であることに変わりないということでしょうか。

 ところどころ企業法務の視点を織り交ぜ読みましたが、中世史に興味がある者としては面白い本でした。
 日本の中世史は趣味としてじっくり取り組みたいと改めて思いましたね。
 

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