企業法務マン迷走記2

 大船ならぬ「酔っぱらった船」に乗ったかのような企業法務担当者の日常

読んだ本・聴いた音楽


先駆者 冨田勲を悼む

 今年は音楽界の巨星というより一時代を築いた先駆者の訃報が続きますね。
 プリンスのことを書こうとぐずぐずしているうちに冨田勲の訃報が入ってきてしまいました。
 
 テクノポップが流行した1980年頃は、学生でもアルバイトを頑張れば買える価格のシンセサイザーが発売され始めた時期です。当時のシンセサイザー関連書籍には必ず先駆者として冨田勲とこの春亡くなったキース・エマーソンが紹介されていました。二人の写真には必ずモーグの巨大なモジュラー・シンセサイザーの姿が写り込んでいました。今年はポピュラー音楽の世界におけるシンセサイザー普及の立役者を立て続けに失くしたことになります。なんという年なのでしょうか。
 
 冨田氏の音楽はシンセサイザーだけでなく「音場」へのこだわりにも触れておかないと不十分と思います。立体的な音場を再現する4チャンネル方式や2チャンネル(ステレオね)でも同じ音響効果が得られるバイホニック(だったかな)など、本当に斬新で面白いことに取り組まれていました。
近年ボーカロイドと共演していましたが、奇をてらったわけでも若者受けを狙ったわけでもなく単純に「面白い」ことを求められたのだろうと思っています。

 少し法務風味なネタを挟むとすれば、新しくて面白い取り組みの裏で行われたであろう権利関係の交渉ですね。ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ホルストといった作曲家の作品が題材でしたから、苦労した交渉もあっただろうと思います。冨田氏がやろうとしたことはスコアや楽器編成の変更といったレベルではありませんからね。兎にも角にもその交渉の結果、冨田版「月の光」「火の鳥」「惑星」などが世の中に出たわけですからその交渉がどんなものだったのか知りたいですね。(昔のLP盤のライナノーツに少し書かれたものがあったような記憶が?)

 冨田版『惑星』のオルゴール音を思い出しながら、合掌。

ホルスト:組曲「惑星」
冨田勲
SMJ
2012-12-05 

 




 

タルカス、そしてヒーローの死

 今年はミュージシャンの訃報が続きますが、昨日もたらされたキース・エマーソンの訃報はきついものでした。昨日朝の時点では急病か何かと思っていたのですが、どうやら拳銃自殺との話で。チケットは取っていませんでしたが来日コンサートが予定されていたなかでのこの知らせ。。。

 ロックミュージックはギタリストが主役という時代に、当時は未知数の電子機器だった巨大なシンセサイザーをステージにどんと置いて、オルガンにナイフを突き刺したりひっくり返したりする一方、凄まじいテクニックで演奏を繰り広げるキース・エマーソンは、ギタリストではないロック少年のヒーローだったと思います。(さすがに全盛期をリアルタイムで味わった世代ではありませんが)

 本格的に洋楽を聴き始めた10代の頃(80年代初め)どこでどうこじれたのかプログレッシブ・ロックを聴きこむ時期がありました。その当時ですらすでにプログレッシブ・ロックは衰退したジャンルでしたが、EL&Pの「展覧会の絵」や「タルカス」は本当によく聴きました。初めて聴いたときに「なんだこれ?」と異質感を抱きながら、愛聴盤になっていったレコードは何枚かあるのですが、その1枚は「タルカス」なのでした。またジャズやフュージョン(通じるかな)に関心を持つきっかけにもなりました。キース・エマーソンは、自分の中ではけっこう大きな存在だったと思います。

 かつてのヒーローの老境を迎えてからの自死。本当に堪えますね。



スターの死におもう

時間という、鳴りの狂った時計をば欺いてやる目的で
   二十種も詩風を変えて歌ってきた
このやり方で避けてきた、称賛も、
  さては高貴な酷評も
   出典:コクトー『平調曲』堀口大學訳

 デビッド・ボウイの訃報に接した時、『平調曲』の冒頭の一節(この一節だけ妙に頭にこびりついているだけで、全篇を諳んじることができるわけではない)が頭に浮かびました。ボウイも時代とともに作風、サウンド、ファッションを次々と変えていました。過去の自分のスタイルや実績にこだわらない点では、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスの姿と重ねてしまいます。
 個人的にはブライアン・イーノと組んだ「ロウ」あたりが好きなのですが、それも彼の音楽人生の1ページに過ぎず、軽々に評価を決められない人であります。
 今後様々な評論が出回ることを思いますが、何を語っても群盲象をなでるということになりそうです。

 日経の1月13日付朝刊の春秋欄でもボウイを取り上げ、最後に企業経営者に対して無茶ぶりなコメントを付しているのがなんとも。過去の実績にとらわれ、時代の変化に遅れをとるなということですが、ボウイは時代を作っていった方ですからね。ちょっと違うかも、と思ったわけです。ただ過去しか語る、すがるものがない人生というのは虚しいものであるのは確かですね。

 凡人の自分はいつまで走り続けられるか、と自問しています。

 

 

愚かなる買い物 

 我ながらアホだなあ、バカだなあという買い物があります。音楽CDのリマスターやBOXセット、海外SFの新訳、復刊に弱い。本当に弱い。金を貯められない人間のパターンです。
 音楽CDを例は、【ナイアガラ】シリーズやマイルス・デイヴィス。『ロンバケ』だとLP盤を含めて何枚あることやら。マイルスの「オン・ザ・コーナー」や「アガルタ」もLP盤からCDまでなんだかぞろぞろ在庫があります。貧弱なオーディオではリミックスの違いなどわからないのにね。

 そして海外SF。気をつけよう気をつけようと言い聞かせていたのにやってしまいましたよ。フィリップ・K・ディックの新訳。ハヤカワSF文庫から刊行されていたいわゆる「ヴァリス」三部作の新訳版をフラフラと買ってしまいました。 創元SFによるサンリオ文庫復刊版を既に読んでいるのにアホです。帰宅して本棚を眺めてみたら、同じディックの「暗闇のスキャナー」と「スキャナー・ダークリー」と同原作、訳者違いの版が並んでいましたので目眩がしました。反省なし。
 今恐れているのは、S・レムの「ソラリス」新訳(ハヤカワSF)や、既に刊行されている新潮のT・ピンチョンの新訳版の存在。書店で見かけても目を瞑るようにしてその場を去るようにしていますが、この先について自信が持てません。
 出版社はかつてSFに夢中になっていたおっさん層を狙っているのでしょうか。新しい読者を開拓しようとしているのでしょうか。(そういえば自分の傍で二人連れの中学生らしき男子が「アンドロ羊」を手に取っていましたが)

 ちょこっとしか違わないのに某会社法、某商取引法や某租税法を買うのと同じこと、何だって一番新しいのが正しいのだと自分をごまかしています。

 休日なので埋め草的エントリでした。

ティモシー・アーチャーの転生 (創元SF文庫)
フィリップ・K. ディック
東京創元社
1997-02





  

HOMMAGE A EBERHARD WEBER を聴く

 
 Eberhard Weberって誰?ECMレーベルって何?という人にはまったく申し訳ないのですが。


  
  ドイツのジャズ・ミュージシャンであり、ECMレーベルを代表するミュージシャンの生誕75周年を祝うコンサートの模様を収録したアルバム。本人は残念ながら数年前に脳梗塞で倒れたため演奏ができない身体となっているのですが、ライナノーツをみると、過去の彼の演奏記録とナマの演奏を合わせたコンサートだったようです。コンサートに参加しているミュージシャンは、ジャケットデザインと一体となったクレジットの通りなのですが、ECMレーベルと彼に縁の深いメンバー中心でファンとしてはこれだけでも涙腺と財布の紐がゆるんでしまいます。

 本作の中で自分にとって思い入れの深い曲は4曲目に収録されている「MAURIZUS」
初めて聴いたのは10代の終わり頃。
この曲がきっかけで、彼とECMレーベルの音楽にのめり込んでいったといっても過言ではありません。演奏家生活40周年記念コンサートのライブアルバムでもこの曲が収録されていたので、多分彼にとっても思い入れのある曲なのかもしれません。

Stages of a Long Journey (Ocrd)
Eberhard Weber
Ecm Records
2007-07-24


 こういう企画は、ともすれば同窓会的な内容になってしまいがちなのですが、そうはさせないのが2曲めに配したPat Metheny(彼もECM出身ですし若い頃共演もしている)の手による30分を超えるオリジナル大曲です。今やジャスギタリストの大御所ともいえるPatですが、ライナノーツにも一文を寄せており、Eberhardgaが彼にとっても特別な存在であることが窺えます。

 Eberhardが演奏はできないまでも健在であったこと、そしてJan Garbarek、Gary Burtonといった縁のある(かつ高齢)ミュージシャンたちが依然高水準の演奏を続けていることがわかり、長年のファンにとって愛蔵・愛聴盤になることは間違いありません。

 単なる趣味趣味音楽エントリでした。すみません。

 
 


 
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